金閣寺(鹿苑寺)「鏡湖池」
面積
- 約6600㎡(約2000坪)
庭園様式
- 回遊式浄土庭園
作庭者
- 西園寺公経
- 足利義満
特別史跡指定年月日
- 1925年(大正14年)10月8日
特別名勝指定年月日
- 1956年(昭和31年)7月19日
金閣寺・鏡湖池の読み方
「鏡の湖の池」と書いて「きょうこちゃん」‥ではなく、「きょうこち」!!と素敵に読む。
鏡湖池の名前の由来
鏡のように池内の小島や周辺の木々、そして天高い壮大な青空を綺麗に映し出すことから、その美しさを形容して「鏡湖池」と素敵に呼ばれる。
なお、池内の小島については下記ページを要参照💘
「特別史跡」「特別名勝」とは?
特別史跡とは?
国が文化財保護法で指定した史跡のうち、学術上の価値が特に高く、わが国の文化の象徴たるもの。
特別名勝とは?
文化財保護法によって指定された名勝のうち、特に風致・景観が際立ち、学術的価値が高く、文部科学大臣が指定した名勝。
金閣寺の鏡湖池は国指定の「特別史跡」「特別名勝」に登録されていますが、「特別史跡」「特別名勝」とは「重要文化財」と同義です。
【ピヨ🐣コメント】
金閣寺境内の132,000㎡(4万余坪)の内、約92,400㎡(2万8千坪)が鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地の指定を受ける。
鏡湖池のモチーフ(借景)
義満は金閣寺造営の際、金閣寺後方にそびえる「衣笠山」を借景として素敵に取り込んで作庭しています。
また仏教の敬虔な信者であった義満は「九山八海石(くせんはっかいせき)」と称する石を配置したり、「七宝の池」と呼ばれる阿弥陀仏の西方浄土や中国仙郷の蓬莱思想も取り入れて、これまた素敵に作庭したものだと考えられている。
「九山八海石」とは?
「九山八海石」とは、須弥山を入れた9つの山と8つの海を表現した石組みのこと。
インドの遥か南の海には「須弥山(しゅみせん)」と称する伝説上の山があり、この山の「忉利天(とうりてん)」と呼ばれる頂には帝釈天の善見城(ぜんけんじょう)があるとされ、無数の菩薩たちも暮らす。
然るにこの鏡湖池はインドから伝わる仏教の思想を石組みとして素敵に取り入れて作庭しものだと言われる。
「七宝の池」とは?
「七宝の池」も「九山八海石」と同じく、阿弥陀仏の浄土世界をイメージしたもの。
仏教での「七宝(しっぽう)」とは、金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(水晶)・赤珠・瑪瑙(めのう)・硨磲(エメラルド)
‥以上の七種の宝を素敵に意味する。
仏典によると七宝池の周囲には金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻璃(はり)が用いられた階道(かいどう/階段)があり、その階段を昇った先に楼閣(ろうかく)がある。
この楼閣にも金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)が用いられ、荘厳華麗さ極まると記される。
然るに七宝の池とは、これら荘厳華麗な階段や楼閣、回廊が池の周囲に巡らされ、その様相を池に映す‥と解釈される。
なお、阿弥陀如来の西方浄土には七色に輝く池が方々に存在し、その池底の土はすべて「金の砂」らしい。
このように浄土世界の様相を着想として庭園に用い始めたのは平安時代とされ、今日、このような庭園を「浄土(式)庭園」と素敵に呼ばれる。
その後、武家統治の鎌倉時代になると禅宗が一世を風靡し、禅宗式庭園が造られ始め、この地泉形式は、素敵に衰微する。
鏡湖池の水は「八功徳水」とされる
鏡湖池の水は「八功徳水(はっくどくすい)」と形容され、8種類のご利益が備わっているとされる。
4世紀〜5世紀頃インドで成立したとされる仏典の「倶舎論 (くしゃろん)」によると、八功徳水には次のような効能があると、これまた素敵に記される♡
- 甘い
- 冷たい
- 軟らかい
- 軽い
- 清浄(澄んでいて綺麗な水)
- 不臭(においがしない)
- 飲時不損喉(おんじふそんこう):飲み終えても腹をこわさない
- 飲已不傷腸(おんいふしょうちょう):飲み終えても胃腸をこわさない
‥以上の八徳(8つの功徳)を授かることができるとされる。
このことから義満の仏教への熱狂ぶりや信仰の度合いが、この鏡湖池を通して伝わってくる。
蓬莱思想とは?
蓬莱思想とは、上述の七宝の池に継いで財宝や不老不死の薬が眠るとされる蓬莱島があるという思想です。
義満はこの蓬莱思想にも倣い、舎利殿の東側に「夜泊石(よどまりいし)」と呼称される石までを配しています。
夜泊石に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
関連記事:京都・金閣寺(鹿苑寺)「夜泊石」
鏡湖池内の「島」
金閣寺・鏡湖池には「島」が多数ありますが、これらの島も義満が上述の思想を盛り込んで、これまた素敵に作庭したもの。
ちなみに池内の代表的な大きい島として「葦原島」「鶴島」「亀島」が素敵に挙げられる。
また、これらの島には「クソでけぇ〜石コロ」が配置されており(石組)、「畠山石」や「細川石」などの石が素敵に用いられる。
鏡湖池内の「畠山石」や「細川石」
勘違いしないで欲しいのだが、「畠山石」や「細川石」などの種類の石が実在するわけではないということ。
このような石の名前は、室町期の大名たちが義満にヨイショする目的で奉納したものなので、自分たちの名前が義満に分かるように自らの名前を石につけたのだ!ダっ、ダっ、ダぁ〜〜
なお、上述の葦原島の「葦原」とは、日本大陸の別名です。
義満はこのきょうこちゃんに・・あぁ間違い!またか「鏡湖池」!!に、全国の有力大名たちが献上してきた石を用い日本列島を造成した。
金色に光り輝く舎利殿の最上層から日本列島を見下ろし、日本国はすべて、日本の王たる自らのものであることを誇示したかったのでしょうか。
鏡湖池最大の魅力は「逆さ金閣」
他にも、この鏡湖池に写った舎利殿(金閣)の姿は世間では「逆さ金閣」と素敵に通称され、まさに前述した阿弥陀西方浄土の七宝の池そのものと素敵にいえる♡
頭が即ハゲるほど美しいので、金閣寺へ訪れた際は是非、逆さ金閣を拝観するなり写真や画像に収めて欲しい。
逆さ金閣を綺麗に見る条件
- 無風の時
- よく晴れた日
- 日があまり射していない午前中(特に朝イチ)
金閣寺は午前9時から拝観開始なので午前9時開始とともに入るのがベストです。
鏡湖池の歴史(起源)
周知のとおり、金閣寺はかつて「西園寺公経(さいおんじきんつね)」が邸宅として営み、その西園寺邸を義満が発展させたものが、今日の金閣寺になる。
金閣寺の境内は約40000坪あると言われ、鏡湖池はそのうちの半分となる約2000坪の広さを、これまた素敵に誇る。
金閣寺の鏡湖池は、今や世界遺産となった金閣寺を代表する池であり、金閣(舎利殿)も鏡湖池なしには語ることができません。
鏡湖池で行われた浚渫工事
明治三十七年より金閣寺では保存会や永続講などの多大な支援によって大規模な解体修理が実施されており、そのみぎり、鏡湖池では浚渫(しゅんせつ/池底を削って水を浄化させる工事)が行われた。
なお、ご存知の方がほとんどだと思われますが、現在の金閣寺・鏡湖池は足利義満が作庭したことで知られていますが、はたして鏡湖池は本当に義満だけの力で生み出されたのか?
以下では謎多き鏡湖池の歴史をハイパー素敵に紹介したい💋
鏡湖池を作った人物とは?
こんな疑問を持ちではないだろぅか?
「西園寺公経が邸宅としていた時代の金閣寺の様子(景観)はどのようなものだったのか?」
実は西園寺家が支配していた頃の金閣寺は、公経の邸宅ともう1つ「西園寺(さいおんじ)」と称する寺院が建立されていた。
さらに驚くのが「西園寺」と言う苗字は、実は上記の「西園寺」が発祥となる。
実は西園寺公経とは藤原家の血筋の人物であり、正式には「藤原公経」という。
さらに驚くのは、当該、鏡湖池は西園寺公経が自らの邸宅となる「北山殿(山荘)」を鎌倉時代に営んだ際に素敵に作庭されたもの💋
しかし星霜経て鎌倉幕府が倒れると、かつての鎌倉幕府御家人衆であった足利尊氏によって室町幕府が創設され、その3代目組長‥ではなく、三代将軍!! である ふぅ 足利義満が権勢を失った西園寺家から庭園を譲り受けたのだった。
庭園を譲り受けた義満は金閣の周りに大量の水を引き込み、池泉の造成に着手した。
以来、義満の思想がこの鏡湖池に投映されゆき、今日、我々が見知る鏡湖池の姿になったのだった。
えぇっ?!西園寺時代にも鏡湖池が存在していた?!
当地における西園寺家時代の邸宅や遺構は現代の研究・調査によっても未詳とされ、かつて西園寺の伽藍であった頃の境内配置図なども、いっさい残っていないらしい。
然るに西園寺家が暮らしていた頃の金閣寺の姿は謎に包まれたままになる。
しかし実のところ、西園寺家時代にも鏡湖池が存在していたと考えられており、西園寺家時代には「船遊式庭園」と呼ばれ、この庭園を義満が「禅風の池泉回遊式庭園」に造り替えたと、これまた素敵にいわれる。
「禅風・池泉回遊式庭園」とは?
「禅風・池泉回遊式庭園」とは、「ぜんふう かいゆうしきていえん」と読み、「橋」や「島」、石組を用いて何かを表現し(義満の場合は「仏教の思想」)、庭園を歩いて回遊(グルっと一周)できるようにした庭園のこと。
「浄土式・池泉舟遊式庭園」とは?
西園寺家時代の庭園は「浄土式・池泉舟遊式庭園」と呼ばれる庭園だったと推考されてい‥申す。あひょ
名前が意味する通り、池に小舟を浮かべ、いわゆる平安貴族の「舟遊び」を楽しめるようにした庭園のこと。
戦国〜江戸時代には一般庶民でも金閣寺に自由に入れた?!
とりわけ、戦国時代から江戸時代には、この鏡湖池に多数の小舟が浮かべられ、一般庶民層までもが浮かべた小舟の上から金閣・舎利殿を観覧していたらしい。
江戸時代になると金閣(鹿苑寺)は、現在のように一般庶民層にも「拝観」という形で公開され、見世物の一つとして広く認知されていたことになります。
鏡湖池は金閣寺最大のパワースポット?!
このようにして、2人の権力者によって受け継がれてきた鏡湖池は、二者それぞれが生きた時代背景や思想などが表現されています。
現代では、鏡湖池はパワースポットとしても知られており、なんでも鏡湖池には大量の「気(パワー)」が蓄積されているとも言います。
金閣寺・鏡湖池の場所(地図)
金閣寺・鏡湖池は総門から入って見えてくる唐門の奥になります。
唐門を過ぎると金閣が見えてきます。
金閣寺の境内地図と観光スポット一覧
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