京都・仁和寺「九所明神本殿および左右殿」 【重要文化財】

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京都・仁和寺「九所明神本殿および左右殿」【重要文化財】

造営年

不明
推定:1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)※江戸時代初期

建築様式(造り)

一間社流造※本殿
四間社流見世棚造※左右殿

屋根の造り

こけら葺

重要文化財指定年月日

1973年(昭和48年)6月2日

九所明神の読み方

九所明神は「くしょみょうじん」と読みます。

九所明神の名前の由来

九所明神の名前の由来は単純に後述するような9柱(九所)の神様が祀られていることに由来する。




九所明神の御祭神

九所明神には以下のような9柱の神様がお祀りされています。

中殿(中央/石清水八幡宮)

  1. 八幡三神
「八幡三神」とは?

応神天皇(誉田別命)※主祭神
相殿神:比売神(比売大神)
相殿神:神功皇后※応神天皇の母

左殿(東側)

  1. 加茂下上※下鴨神社・上賀茂神社
  2. 日吉※日吉大社西本宮
  3. 牛頭天王※祇園社/現・八坂神社)
  4. 稲荷大神※伏見稲荷大社

右殿(西側)

  1. 松尾大明神※松尾大社
  2. 平野大明神※平野神社
  3. 小日吉大明神※日吉大社東本宮
  4. 木嶋坐天照御魂神社(このしまにます あまてるみたま じんじゃ)※木野嶋天神

九所明神の歴史

上記、九座の神様は仁和寺に伝わる「御室相承記(おむろそうしょうき/国宝)」には、鎌倉時代以前から奉祀されていたことが明らかにされています。

ただし、仁和寺の初代別当職であった「幽仙(ゆうせん)」が天台宗の僧侶であったため、天台宗の守護神である日吉神が中座に据えられていたとも考えられてい‥‥申す。

幽仙が仁和寺初代別当であった事実は、890年(寛平二年)11月23日付の太政官符に「右彼寺別当権律師 法橋上人位 幽仙 奏状偁」‥‥‥などと記されることからも、ほぼ事実みれる。

なお、天台宗の寺僧である幽仙が真言系の仁和寺初代住職に選ばれたことについて疑問が生じたコノヤロー共もいると思うが、この理由は現在までの研究においても未詳とされる。(仁和寺開基たる宇多天皇(光孝天皇)と親戚関係だったとも)

鎌倉時代以前は境内西側に建っていた?

創建当初からこの三棟の殿舎が現在の場所に並び建てられていたわけではなく、鎌倉時代以前は境内の西側に建っていたことが「御室相承記」にも記される。

その後、現在地に遷座したのが1212年(建暦二年)だと伝わるが、現在の建物は1641年(寛永十八年)から1645年(正保二年)の間に徳川家光公の御発意によって建造されたもの。(各殿の正面には「寛永二十一年(1644年)」刻銘の石灯籠が建つ)

九所明神の建築様式

流造

切妻造の屋根を前面へ伸ばして向拝(こうはい/礼拝するための庇)を兼ねたような作りのこと。

流見世棚造

流造かつ、見世棚造の社殿を示す。

見世棚とは、行商人が品物を売るような台(見世棚)を神前の前に配置したもの。見世棚には供物などが供せられる。

※「見世(みせ)」とは「店」を意味する。

こけら葺

漢字で記すと「杮葺」。板で葺いた屋根のこと。(ヒノキの場合は檜皮葺とするのが一般的なので、この場合は檜材以外が用いられたとみれる)

仁和寺・九所明神の場所(地図)

仁和寺・九所明神は仁和寺境内を中門の右奥、金堂の右脇に位置します。


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