京都・仁和寺「菅公腰掛石」

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菅公腰掛石とは?

「菅公腰掛石」とは、この水掛け不動尊の中にある石のこと。現在は石上にお不動さんを奉置する。

なんでも御影堂に参籠中の寛平法皇(宇多天皇)が修法を終えて出てくるのを待つために、菅公(菅原道真)が腰をかけた岩らしい。

菅公腰掛石の由来

仁和寺を開創した宇多天皇の側近には、あの有名な菅原道真がいました。

道真は宇多天皇の信任篤き臣下としてよく君によく仕え、世子の醍醐天皇も父皇よりの遺戒を遵守し、道真を重用して右大臣に任じます。

ところが、道真の異例の昇進を快く思わない藤原氏は、策謀をめぐらせて「道真は醍醐帝を廃位させて女婿の斎世新王の擁立を企んでい‥ます。」などと讒言し、道真に逆臣の汚名をきせてしまいます。

逆臣となった道真は右大臣の職を解かれてしまい、その上、九州・太宰府へ島流し(左遷)されることになります。

道真は太宰府へ下る際、仁和寺に隠棲する先帝・寛平法皇(宇多天皇)に自らの無実の罪状を直訴すべく、岩(菅公の腰掛石)に座しながら法皇が修法を終えるのを待った。

ほどなくして法皇と対面できた道真は次のような一首を奉った。

流れ行くわれは水屑(みくづ)となりはてぬ きみ柵(しがらみ)となりてとどめよ

法皇は涙涙で頬を湿らせ、ついに自らも道真の無実の罪を直訴すべく宮中へ参内するまでに到ったが、天皇の出御はなかった。

‥‥‥以上のような故事のもと、後世ではこの石を「菅公腰掛石」と呼び、今も手厚く奉祀す〜る。

尚、このような菅原道真が腰掛けたとされる石は、この仁和寺だけではなく、例えば奈良東大寺の境内に位置する手向山八幡宮の境内にもあります。

菅公腰掛石の場所(地図)

菅公腰掛石は、鐘楼の奥、御影堂の右脇に位置する水掛け不動尊の敷地内にあ〜る。

御影堂の御垣に設けられた東門から通りぬけて行くことができます。

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