京都・金閣寺の隠された都市伝説と裏話、謎、秘密、呪いとは!?

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そもそも「金閣寺」とは?

修学旅行で何気なしに撮った金閣寺の写真に謎の呪いが?!

金閣寺とは通称で、正式名称は「鹿苑寺」もしくは「鹿苑禅寺(ろくおんぜんじ)」です。

上京区に位置する相国寺(そうこくじ)の塔頭寺院の1つで、そのうちの舎利殿「金閣」がきわめて有名なため、通称「金閣寺」と呼ばれています。

室町幕府3代目将軍足利義満が創設者で、義満の法号・鹿苑院殿にちなんで鹿苑寺と名付けられました。

1950年に放火にあい焼失しましたが、1955年に再建され、1994年に世界遺産「古都京都」の構成資産に登録されました。

金閣はその名の通り、外装は金色に包まれ、とても神々しい寺院となっています。

外国人からの人気も圧倒的で、毎シーズン多くの団体観光客で賑わいます。

今回はそんな金閣寺についての都市伝説や裏話、謎、秘密、呪いについてまとめてみました!




金閣寺で心霊写真が撮れる?

修学旅行といえば、友人とのお決まりの写真撮影ですが、舎利殿の「とある場所」で「とある高校生」が、旅の思い出にと、記念写真を1枚、パシャっ!..と、撮ったそうです。

修学旅行で何気なしに撮った金閣寺の写真に謎の呪いが?!そして、悠々、地元へ帰り、写真を現像したところ、なんと!ふんどし姿で坊主頭の、少し鼻毛が飛び出している「修行僧のような人物」が数人写っていたと言います。

(驚くことに全員、鼻毛が飛び出ていたそうです。)

しかも、半分透けていて、後ろの景色が見えているのです。

(鼻毛も半分透けていたそうです。)

ハッキリとではなく「透けている」と、いうのがなんとも幽霊らしいですが、合掌しながら立っている者や、寺の屋根に寝そべっている者など、それぞれ、鼻毛が飛び出しながら、自由にポーズを取っていたといいます。

「金閣寺で幽霊が出る」といった話は、あまり聞かれませんが、このような心霊写真を撮影した方が、沢山いらっしゃるので、実は集まりやすい場所なのかもしれません。

しかし、なにか他の一般的な心霊写真と違って、なごんじゃいますね。

他にも、境内の茶室で写真を撮ると、白い煙のようなものが撮れるという報告もあがっています。

1950年金閣寺放火事件では、死傷者は出ませんでしたが、過去の修行僧の無念が残っているのでしょうか。

金閣寺の幽霊の話は他の寺院に比べて少ないのですが、なぜか心霊写真は撮れるという不思議な現象が起きているそうです。

金閣に行ったら、妖しそうなポイントを1枚パシャリ!と、撮ってみてもいいかもしれませんね。

もちろん、自己責任の範囲内での話です。

金閣寺放火事件

あまり知られていない金閣寺のこんな裏話と隠された秘密のお話画像引用先・毎日新聞社

このことは、あまり知られていなかもしれませんが、先述したとおり、金閣寺は昭和時代に1度焼失しています。

「金閣寺放火事件」と言われ、1950年7月2日に同寺子弟の見習い僧侶の大谷大学学生の林承賢が起こした事件です。

放火の動機が複雑な感情が入り乱れるものとなっていたため、その感情を分析した文学作品が多く執筆されることとなりました。

後に1955年に再建されることとなりますが、実は金閣は明治時代に大修理が行われており、その時の図面があったため、ほとんど焼失する前の状態に再現することができたそうです。

この一連の事件を題材にした小説には、三島由紀夫『金閣寺』、水上勉『五番町夕霧楼』が挙げられます。

金閣寺の謎、伝説の一枚天井??

戦前の金閣も観光スポットだったそうですが、その時の売り文句は金箔ではなかったようです。

これはあまり知られていませんが、なんと!実は創建当初の金閣は三層目のみに金箔が施されていたそうです。

さらにその後の昭和の再建では金箔を二層目と三層目に貼るものの、10年ほどでボロボロ取れてきてしまい「黒閣寺」とまで呼ばれるまでの惨状だったようです。

つまり現在我々が目にすような金閣・舎利殿の姿はドコにもなかったと言えます。

以上のようなこともあり、金閣が普通の寺院と変わらないのであれば、当然、訪れる人も激減するというものです。

では、いったいどのような売り文句で人を集客してきたのでしょうか。

それは「金閣寺をごろうじなしたか(拝見なされたか)、なんと楠一枚板ではないか」というものだったそうです。

つまり、金閣寺の3階の天井は、なんと!1本の楠から切り出されたものだと言うのです。

金閣寺 伝説の一枚天井この3階の天井、つまり「究境頂(くっきょうちょう)」と呼称される三層目の天井は、一辺が5.4mあります。

つまり、幹回りが少なくとも25メートル以上の楠の木が必要となってきます。

しかし現在の日本において一番大きい楠は、蒲生の大楠で、高さ30m、幹回り24.22mです。

そう・・つまり今の日本では1本の杉材から鏡天井を造るのは不可能な大きさなのです。

この当時、屋久杉や蒲生の大楠を圧倒的に凌ぐ大きさの楠が存在したのでしょうか?

当時の楠の存在に関する資料は今のところ存在していません。

真実は未だに当時の人しか知らないことでしょう。




金閣寺、銀閣寺、・・○閣寺??

少し話は変わりますが、4年に1度、世界で行われるオリンピック(五輪)があります。

オリンピックでは成績優秀者に対して「メダル」の授与があります。

1位:金メダル
2位:銀メダル
3位:銅メダル

これを寺院に当てハメると・・

金閣寺
銀閣寺
銅閣寺・・?

そこで、こんな素朴な疑問が湧いてきます。

「金閣、銀閣があるなら銅閣はないの?」

実は、驚くことになんと!「銅閣寺」なる寺院が、同じ京都市内にあると言われています。

銅閣寺正式名称を「大雲院」と発し、通称「銅閣寺」と呼ばれているようです。

しかし、金閣、銀閣のように、足利一族と関係があるわけではありません。

実はこの銅閣寺、あの織田信長と信忠親子の菩提を弔う寺なのです。

また、天下の大泥棒・石川五右衛門の墓もあります。

金閣、銀閣に隠れて銅閣はひっそりとたたずんでいます。

というのも、普段は非公開の寺院なのです。

夏になると、一定の期間公開されるので、興味がある方は是非、「京の夏の旅」キャンペーンをチェックしてみてください。

銅閣寺(大雲院)の場所とお問い合わせ先

住所:京都市東山区祇園町南側594-1
電話番号:075-531-5018

追伸

尚、「鼻毛が飛びていたというのはウケを狙うためのフィクションです」お許しください。オホ

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