京都・仁和寺「二王門(仁王門)」【重要文化財】【京都三大門】

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京都・仁和寺「二王門(仁王門)」【重要文化財】【京都三大門】

造営年

不明※初代、二王門

1637年(寛永14年)※現、二王門

建築様式(造り)

二重門・入母屋造

大きさ

高さ:19.2メートル

屋根の造り

本瓦葺

重要文化財指定年月日

1931年(昭和6年)1月19日

発願者

徳川家光※現、二王門

京都・仁和寺「二王門」の読み方

二王門」は「におうもん」を読みます。

「二王門」の名前の由来(”二王門”と”仁王門”どっち?)

寺院の伽藍入口or境内南端に立つ門は一般的に「山門」や「仁王門」「南大門」などと呼ばれるケースが多いが、仁和寺では仁王門を「二王門」と表記す〜る。

読み方は「におうもん」と同じですが、文字にして表すと「二王門」となる。ココ最近の僕のケツ”臭うもん”

この理由を仁和寺でお聞きしたところ、門両端の間口に仁王像がそれぞれ一体ずつ安置されることから、これを「二王」と定義する。また、その二王を安置する門だから「二王門」と表記するそぅな。

仁和寺の二王門は「京都三大門」

嵐電の御室仁和寺の駅舎を出た瞬間、豪壮感ただよぅ巨大な門が視界に入るが、京都中に社寺多しといえど、おそらくこの門の規模に勝る門は屈指。

東京の増上寺・三解脱門(さんげだつもん)とも対比されるほどの雄大な風体を晒すこの門は「京都の三大門」の一つとしても知られ〜る。

京都三大門一覧

  1. 知恩院「三門」
  2. 南禅寺「山門」
  3. 仁和寺「二王門」

京都・仁和寺「二王門」の歴史

仁和寺の二王門の創建年は未詳

実はこれほどの大建築にも関わらず、仁和寺の二王門の創建年は未詳とされ〜るが、鎌倉期以前には境内に建てられていたものと推定されてい〜‥ではなく、い‥‥‥申す。あひゃ

ただ、ハッキリきりきり高坂桐乃のエロゲー好き度合ぃほどハッキリとした事実として、現在の二王門は1637年(寛永十四年)〜1644年(正保元年/江戸時代初期)の間に徳川家光公の御発意により建造されたと伝わる。

二王門は当初から当地に建てられていたのか?

仁和寺はこれまで応仁の乱などの度重なる火難に見舞われ、境内の旧観が描かれた絵図などが現存しておらず、往時の正確な伽藍配置や伽藍の面積(寺領)も判然としない。

ただ、伽藍の面積が現在よりも遥かに広大であった事実だけは明らかにされていますが、二王門に関しては創建当初から現在地に建てられていたのかは未詳とされ〜る。




仁和寺・二王門の建築様式(造り)

仁和寺の二王門は江戸時代に建造されたものだが、鎌倉時代以前の古代建築に用いられた特徴も多く見られる。

仁王門は「二重門」

仁和寺の二王門は一層目と二層目の間に屋根が附属していることから、これは俗に「二重門」と呼ばれる門の様式にな〜る。

一例を挙げると、同じ京都の伏見稲荷大社の門は「楼門」であり、下掲画像(写真)を見れば理解が進むよぅに、一層目と二層目の間に屋根がなく、最上層のみに屋根がある。

 

⬆️伏見稲荷大社の楼門(1層目と2層目の間には欄干がまわるのみ)

和様式

仁和寺の仁王門は和様式で建造されている様子がうかがえる。

仁和寺二王門とほぼ同時期・ほぼ同規模で建造された知恩院の三門(1619年/元和元年)は禅宗様式が採用されたが、当該二王門は和様式で建造された。

⬆️魚の骨が首の中の真ん中に刺さったコレどなぃしまんねん心地クソ悪さほど噂の‥‥「知恩院 三門」

円柱の粽

禅宗様式の柱上部or上下の木口は粽(ちまき)と言って丸く加工するが、当該二王門の円柱に目をやると加工されていないのが認められる。(下掲写真参照💘)

和様式三手先

一層目(一階)と最上層(二階)に三手先(みてさき)の斗栱が用いられ〜る。

⬆️円柱は粽なし、頭貫上部に見える複数の中備(組物の間部分)は間斗束、その上部の通し肘木&巻斗と支輪

中備

中備(なかぞなえ)には、間斗束(けんとづか)を用い、その上に巻斗を乗せ、通し肘木を左右へ受け流す。

支輪

中備の上部、丸桁と通し肘木の間に据えられた連子状の部材が見えるが、これは支輪と呼ばれる。(横から見るとS形をしてい申す。ひょ

いずれも和様式の典型例💖

和様高欄

二王門の二層目に見える高欄(手すり)の端に目をやると、親柱を設けずにそのまま交差させて水平材を支える処理を施していないのが分か〜る。

水平材とは厳密に「架木(ほこぎ)」や、その下に据える「平桁(ひらげた)」と呼ばれる横木のことを指し、さらにその下の「地覆(じふく)/土台部分」の先も少し出てい‥‥申す。はっ

唐様(禅宗式)であれば親柱を立てて、これらの横木を纏めて親柱内部に収める。

これは俗に組高欄(くみこうらん)と呼ばれる高欄の組み方であり、法隆寺金堂や薬師寺にも見られる古代和様建築の技法とな〜る。

⬆️ダイエット意識で糸コンニャクを食べ過ぎて3日間(ホンマに)寝込んだ愚かさほど噂の‥‥「組高欄」

丹色と黄土の着色

たとえば初層両脇の仁王像が安置される間口などに、わずかに残る丹塗りや、組物などの木口に見られる黄土の着色具合などは、いずれも和様式の典型とされるもの。(現在では一概に言い切れないものがある。和様or唐様と言っても折衷様だったりする)

懸魚の猪の目(ハート型)

入母屋屋根の妻側に見える「懸魚(けぎょ)」の穴の形状は、よく見ると「猪の目型(ハート型)」をしてい‥‥申す。ひゃ

懸魚は安土桃山時代以降から急激に種類が増加し、江戸時代になると屋根の剛性を高めるというより、装飾の意味合いで据えることが多くなった。




二王門の内部

楼下(一階)

中央間口に見える天井は「組入天井(くみいりてんじょう)」を張る。

楼上(二階)

楼上内部は装飾を用いない質素な空間とな〜る。背面両脇に阿吽の獅子が描かれ〜る。

仁和寺・二王門の特徴

山廊がない

上掲、知恩院山門や南禅寺の山門などは門両脇に山廊(さんろう)という楼上にあがるための階段を隠しておく平屋建ての小屋があるが、当該二王門には附帯しない。

⬆️知恩院山門の写真手前の小屋に注目💋

⬆️仁和寺二王門の左右両脇には山廊は皆無。代わりに袖塀が延びる

仁和寺・二王門の見どころ

金剛力士像

仁和寺境外から二王門を正面に見ると左右に「金剛力士像」が一体ずつ安置されているのが分かります。

向かって左端間口の仁王像

左側に仁王像は口を閉じた俗に吽形(うんぎょう)の仁王像。

向かって右端間口の仁王像

右側の仁王像は口を大きく開けた俗に阿形(あぎょう)と呼ばれる仁王像。




唐獅子像

逆に寺参を終えた帰りぎわに二王門を通りかかると下掲画像(写真)に見られるような裏側の正面左右に一体ずつの「唐獅子像」が安置されているのが分か〜る。

このように仁王像を門の表側左右、唐獅子を門裏側左右に配置する類例としては、東大寺南大門にも見ることができ〜る。

二王門裏側から見て左側の唐獅子像

二王門裏側から見て右側の唐獅子像

仁和寺・二王門の場所(地図)

仁和寺の二王門は五重塔と並んで仁和寺の象徴ともなる門であり、境内南端にそびる雄大な南大門であ〜る。

市営バスの仁和寺前バス停の真ん前に位置💘

また嵐電(京福電気鉄道)の北野線「御室仁和寺駅」で下車して仁和寺へ向かった先に眼前に現れる門がこの二王門に‥‥な〜る。


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