京都・金閣寺(鹿苑寺)「鏡湖池」

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京都・金閣寺(鹿苑寺)「鏡湖池」

京都・金閣寺(鹿苑寺)「鏡湖池」

面積

  • 約6600㎡(約2000坪)
作庭者

  • 西園寺公経
  • 足利義満
特別史跡指定年月日

  • 1925年(大正14年)10月8日
特別名勝指定年月日

  • 1956年(昭和31年)7月19日

金閣寺・鏡湖池の読み方

金閣寺の境内には、難しい漢字の読み方の仏像やお堂がありますが、鏡湖池は「きょうこちゃん」と読みま・・あぁ、間違い!「きょうこち」!!と読みます。

金閣寺の鏡湖池は国指定の「特別史跡」「特別名勝」に登録されています。

ちなみに「特別史跡」「特別名勝」とは「重要文化財」と同義です。

金閣寺・鏡湖池の歴史・由来

ご存知、京都金閣寺は古来、「西園寺公経(さいおんじきんつね)」が邸宅として造営し、これが金閣寺の起源となっています。

金閣寺の境内は約40000坪あると言われ、鏡湖池はそのうちの約2000坪の広さを誇っています。

そして、金閣寺の面積の半分以上が鏡湖池のようないわゆる庭園を構成する景観となっています。

金閣寺の鏡湖池は、今や世界遺産・金閣寺を代表する池であり、金閣(舎利殿)も鏡湖池なしには語ることができません。

そして、ご存知の方がほとんどだと思われますが、現在の金閣寺・鏡湖池は足利義満が築庭したことで知られています。

しかし、はたして鏡湖池は、本当に義満1人の手で築庭されたのでしょうか?

以下では、実は謎多き鏡湖池の歴史をご紹介したいと思います。

金閣寺の過去と西園寺家

こんな疑問を持ちではないでしょうか?

西園寺公経が邸宅としていた時代の金閣寺の様子(景観)はどのようなものだったのか?

実は、西園寺家が支配していた頃の金閣寺は、公経の邸宅ともう1つ「西園寺(さいおんじ)」と言う寺院が建立されていたと言えば驚かれるでしょうか?

そして、さらに驚くのが「西園寺」と言う苗字は、実は上記の「西園寺」が発祥になっています。

つまり、公経は藤原家の血筋を引いていますので正式には「藤原公経」と言います。

そして、さらに驚くことになりますが、この金閣寺・鏡湖池は、詳しくは鎌倉時代に西園寺公経が自らの邸宅となる「北山殿(山荘)」を造営した際に築庭されています。

しかしその後、鎌倉幕府が倒れ、権勢を失った西園寺家になり変わり、新たに室町幕府の3代目将軍である足利義満が西園寺家から譲り受けることになります。

譲り受けた後、義満は金閣の周りに大量の水を引き入れており、金閣の造営や作庭に取りかかっています。

そして、これが現在の鏡湖池と呼ばれる「池」になっていると言うワケです。

以降、義満の思想がこの鏡湖池に反映されていくことになり、それが現在、我々が知り得る金閣寺・きょうこちゃ・・・鏡湖池!!の姿となっています。


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えぇっ?!西園寺時代にも鏡湖池が存在していた?!

西園寺家が支配していた頃の邸宅や西園寺の遺構は、現代の調査に至っても不明となっており、かつて西園寺の伽藍であった頃の境内の配置図などが、いっさい残っていないそうです。

つまり、西園寺家が支配していた頃の金閣寺の姿は、謎に包まれたままと言うことになります。

しかし実のところ金閣寺・鏡湖池は、西園寺時代にも存在していたと云われており、西園寺時代の「船遊式庭園」と呼称される庭園様式を、義満が「禅風・池泉回遊式庭園」と呼称される庭園様式に造り替えたと云われております。

「禅風・池泉回遊式庭園」とは?

「禅風・池泉回遊式庭園」とは、「ぜんふう かいゆうしきていえん」と読み、「橋」や「島」、「仏教の思想」を取り入れた石などを巧みに配して、庭園を歩きながら回遊(グルっと一周)できる築庭様式です。

「浄土式・池泉舟遊式庭園」とは?

西園寺時代の築庭様式と言うのが「浄土式・池泉舟遊式庭園」と呼称される築庭様式です。
この様式では、船を池に浮かべて回遊するといった趣のもとに築庭がなされています。

尚、戦国時代から江戸時代には、この鏡湖池に多数の小舟が浮かべられ、一般庶民層までもが金閣・舎利殿を小舟の上から観覧していたといいます。

昔の金閣(鹿苑寺)は一般庶民層にまで幅広く開放されていたと云われております。

金閣寺・鏡湖池のモチーフ(借景)

義満は金閣寺の造営の際、金閣寺の付近にそびえ立つ「衣笠山」を模して築庭しています。

他にも、仏教に熱心であった義満は「九山八海石(くせんはっかいせき)」と呼称される石を配したり、「七宝の池」と呼称される阿弥陀仏の浄土世界や蓬莱思想をイメージして築庭したとも云われております。

「九山八海石」とは?

九山八海石」とは、一見するとただの大きな石コロですが、この石にはインド仏教から伝わる仏教の思想が取り入れられています。

インドの遥か南の海にあると言う「須弥山(しゅみせん)」の周りには8つの山と8つの海があると云われています。

つまり、須弥山を入れた9つの山と8つの海で「九山八海」と言うことになり、この思想を表現した石が「九山八海石」と言うことになります。

「七宝の池」とは?

一方、「七宝の池」も「九山八海石」と同じく、阿弥陀仏の浄土世界をイメージしたものです。

阿弥陀仏の浄土には、七色に輝く池がアチラコチラに存在し、その池の底の土はなんと!「金の砂」になっているそうです。

さらに池の水は「八功徳水(はっくどくすい)」と呼称され、8種類のご利益が備わっているとされ、ひとたび口にすると8つの功徳を授かることができると云われています。

以上のことから、義満が如何に仏教を尊崇していたのかが、この鏡湖池を見るだけで理解できます。

蓬莱思想とは?

蓬莱思想とは、上述の七宝の池に継いで財宝や不老不死の薬が眠るとされる蓬莱島があるという思想です。

義満はこの蓬莱思想にも倣い、舎利殿の東側に「夜泊石(よどまりいし)」と呼称される石までを配しています。

夜泊石に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

京都・金閣寺(鹿苑寺)「夜泊石」

金閣寺・鏡湖池の「島」

金閣寺・鏡湖池には「島」が多数あります。

これらの島も義満が作庭の一環で造営したものです。

代表的な大きい島として「葦原島」「鶴島」「亀島」があります。

また、これらの島には「クソでかい石コロ」が置かれており「畠山石」や「細川石」と言った石があります。

石コロの名前の由来とは、室町期の大名たちが義満にヨイショする目的で奉納したものなので、石コロに大名たちの名前が付けられています。

※鏡湖池の島については、当サイトの別記事でご紹介していますのでご覧ください。

尚、上述の葦原島の「葦原」とは、日本大陸の別名です。

義満はこのきょうこちゃんに・・あぁ間違い!またか「鏡湖池」!!に、日本全国の有力大名たちが献上してきた石を用い日本列島を作っています。

舎利殿の最上層から日本列島を見下ろし、日本国はすべて、日本の王たる自らのものであることを誇示したかったのでしょうか。

終わりに・・

このようにして、2人の権力者によって受け継がれてきた鏡湖池は、二者それぞれが生きた時代背景や思想などが表現されています。

現代では、鏡湖池はパワースポットとしても知られており、なんでも鏡湖池には大量の「気(パワー)」が蓄積されているとも言います。

他にも、この鏡湖池に写った舎利殿(金閣)の姿は、世間では「逆さ金閣」とも呼称されています。

京都・金閣寺(鹿苑寺)「鏡湖池」逆さ金閣頭が即ハゲるほど美しいので、金閣寺へ訪れた際は是非、逆さ金閣を拝観するなり写真や画像に収めて帰途に着かれてください。

金閣寺・鏡湖池の場所

金閣寺・鏡湖池は総門から入って見えてくる唐門の奥になります。
唐門を過ぎると金閣が見えてきます。

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