京都・仁和寺「金堂」【国宝】
創建年
初代、金堂
888年(仁和4年)
現、金堂(紫宸殿)
慶長年間(1596年から1615年/江戸時代前期)
再建年
1642年(寛永十九年)から1644年(寛永二十一年)
建築様式(造り)
一重・入母屋造
正面向拝付き
大きさ
奥行き:七間
横幅:五間
向拝:一間
屋根の造り
本瓦葺
※三軒造り
重要文化財指定年月日
1900年(明治33年)4月7日
国宝指定年月日
1953年(昭和28年)11月14日
京都・仁和寺「金堂」の読み方
金堂は近藤くんと読み・・あイヤイヤ「金堂(こんどう)」!!と読む。
金堂は仁和寺の本堂に相当する建造物であり、仁和寺の中心的な堂宇とな〜る。
【補足】「金堂」の名前の由来
よく寺院に行くと本堂のことを「金堂」といいますが、何故、金堂というのでしょうか?
金堂が本堂であるという位置づけは、この仁和寺だけに関わらず、おおむね全国寺院にて統一される規格のようなもの。
実は本堂を金堂と呼ばれるのは飛鳥時代から平安時代中期にかけてに創建された寺院で多く呼ばれている印象があります。
尚、金堂の意味としては以下の2つが述べられています。
- 仏様の姿を表した仏像が金色
- 金堂の堂内は仏様の七光にあやかり金色に装飾されている
京都・仁和寺「金堂」の歴史
888年(仁和四年)8月に創建され、1119年(元永二年)4月13日、四面門、南御堂、円堂、惣社、大湯屋、穀物蔵以外を残した伽藍すべてが原因不明の火災によって灰燼に帰す。
1135年(保延元年)5月にこの再建が成るも、1467年(応仁元年)の応仁の乱の兵火によって再び伽藍、灰燼に帰す。
現在の金堂は慶長年間(1596年から1615年/江戸時代前期)に皇室より下賜された内裏(京都御所)の紫宸殿を1642年(寛永十九年)から1644年(寛永二十一年)にかけて移建されたものとな〜る。(以前は天正時代の紫宸殿とされていた)
紫宸殿とは、内裏(天皇の御所)の中の一つの宮殿のこ〜と。内裏の中に幾つかある宮殿の中で、もっとも格式が高い最高位の建造物とな〜る。
紫宸殿の使用目的は、主に国の根幹を成す重要な儀式や祭典が執行するために用い〜る。
なお、紫宸殿の「紫」は身分を現す色の中では最高位の貴人を示す色であり、「宸」は天皇や天子を指すといわれ〜る。
「殿」は貴人(高貴な身分の者)が住む立派な住まいという意味があ〜る。
創建当初の金堂の位置と現在の金堂の位置
仁和寺のそうめん投手‥‥‥ではなく、「創建当初」!!の記録は数度の火難の折、焼失しており、現在では創建当初の大伽藍の様相を知るすべはなく、創建当初の伽藍の配置図はいっさい未詳とされ〜る。
だグぁしクぁし!
近年、実施された発掘調査によると、この近藤くんの・・金堂!!しつこい の位置だけは創建当初から変わらないと伝わ〜る。
金堂の御本尊の謎
仁和寺の七不思議とも囁やかれるのが、この金堂内に安置される「阿弥陀三尊像」です。(※注:オリジナルの阿弥陀三尊像は現在、霊宝館に遷置されています。)
前身が紫宸殿ということで、殿内中央奥には天皇が御座した「高御座(たかみくら)」が現存していますが、現在では須弥壇(しゅみだん)として使用され、ここに国宝・阿弥陀三尊像が安置されています。
そこでこの阿弥陀如来像が安置されていることが疑問になってくるのですが、仁和寺は真言宗に属する密教寺院となります。
通例では、阿弥陀如来を祀る宗派は浄土宗や真宗が有名です。
その阿弥陀如来を創建当初から奉斎しているという事実を以ってして、真言宗である仁和寺に阿弥陀如来が祭祀されるのは異例中の異例であり、まさに仁和寺の七不思議といえます。(仁和寺が創建された平安時代は大師信仰が盛んだった。阿弥陀信仰が隆昌するのはその先の鎌倉時代になってから)
このような阿弥陀如来の在り様は、宗教の隔たりを超越して従来の形式をそのまま現在まで踏襲していると言えます。
仁和寺・金堂の建築様式(造り)
創建当初は南面に礼堂が在った
平安後期に建造された当初、南側に礼堂が附属し、平等院鳳凰堂のように東西に翼廊が設けられ、さながら阿弥陀浄土を呈した様の堂宇だったと伝わる。
ところが既述のとおり、慶長年間(1596年〜1615年)に建造された内裏の紫宸殿を下賜され、1642年(寛永十九年)から同二十一年にかけて現在地に移建された。
元来、檜皮屋根だった
移建された折、檜皮葺(ひわだぶき/ヒノキ)から瓦屋根へと葺き替えられた。
もともと西側に庇が在った
現在の金堂には西側に庇(ひさし)が付帯しないが、かつては御所の紫宸殿としての寝殿造りの様式に倣ぃ、三間一間、板葺きの廊下のような庇が据えられていたらしい。
平安期に建造された建造物の特徴をよく残す
妻側は大虹梁の上に大蟇股を乗せ、その両側に大瓶束を据えて二重虹梁とするなど、平安期に建造された建造物(紫宸殿)の特徴をよく残す。
まさに皇が用いた御殿としての風貌を維持したままの門跡寺院らしい佇まいを今に伝え〜る。
正面には寝殿造にも見られる蔀戸を用いる
紫宸殿の頃は正面部は柱を残して吹き放ちだったらしぃが、現在は正面全面に上下開閉式の蔀戸(しとみど)を据え、欄干附属の縁を堂舎四方へまわす。正面出入口部分にはスガル破風(向拝)を用ぃる。
また、東側中の間の蔀を板扉へ、北端の間を板壁へと改造し、密教的仏堂特有の区画形成が成された。
皇族のみが使用を許される十六葉八重表菊紋を陰刻した金色の飾り金具、花鳥が彫り込まれた江戸様式を彷彿させる手挟(たばさみ)、向拝部分には、まばら垂木、向拝下水引き虹梁両脇には連れ三斗を用いる。
特に板扉四隅に見られる花先形金具の文様は、江戸時代に当代の様式を以って制作されたにも関わらず、安土桃山様式の意匠がみられる。
蟇股
和様式の特徴でもある蟇股は安土桃山様式を色濃く残す。
豕扠首 (いのこさす)
法隆寺の金堂ならびに玉虫厨子、ほかは住吉大社社殿などにも用いられる古代建築様式の一つ。
金堂の内部
堂内は密教儀式執行ならび道場として空間を設けるために、間に板壁が据えられ内陣と外陣とが区画される。
内陣
内陣は周囲、一間を庇とし、その中央五間/三間の広さを有する。また、正面すべてに板扉を用いるが、元来、東側の一間以外は吹き放ちだった。
内陣には五間の須弥壇が置かれ、須弥壇上には阿弥陀三尊像の他、四天王像や梵天像が安置される。
須弥壇背面には極彩色で色鮮やかに彩られた浄土殿閣図と、その両脇に多宝塔図&瑜祇塔図(ゆぎとう)が飾られる。
ちなみに紫宸殿の頃には京都御所に見られるような須弥壇背面に賢聖の御影が描かれていたらしい。
⬆️上掲画像(写真)は賢聖障子にな〜る。 画像引用先:宮内庁
仁和寺・金堂の意外な「見どころ」
その1.「亀仙人のジっちゃん」
ちょっと金堂の屋根をよくご覧ください。
仁和寺・金堂の屋根はかなり珍しい屋根で、屋根瓦になんと!人の立像が立っています。
この人物、誰かお分かりになりますか?
これは「黄安(こうあん)」と呼ばれる中国の仙人の立像です。
仙人の横(足元)には怪獣ガメラが火を吐きかけている姿の像も造られていますが、実際にはこの亀は約1メートル弱もの巨大亀です。
その巨大なガメゴンに乗っていることから、別名で「亀乗り仙人」とも呼ばれています。かぁ、めぇ、はぁ、めぇ・・グハっ。
ところで、この仙人の像が立てられている理由は亀が長寿や永遠を司る象徴的霊獣とされることにあ〜る。
古代中国での亀という存在は、3000年~4000年にたった1度しか水面から顔を出さないと信じられていたらしい。
ところが、上掲瓦屋根の先っちょ💋に見える黄安仙人は生きているうちに3、4回亀の顔を見たと云われています。
だとすれば、亀仙人‥ではなく、黄安仙人!!は12000年から16000年生きたことにな〜る。おぅイェ~..
仁和寺は過去に幾度となく、火難に見舞われたが、このような悲劇が二度と起こらないようにとの切なる願いから、一種の願掛けのつもりで黄安仙人の立像が据え付けられているらっしぅぃ。
その2.三軒造り
仁和寺の金堂は前身が京都御所の紫宸殿であったこともあり、少し特徴的な造りをしています。
そのうちの一つが「三軒(みのき)」、別名で「二の飛檐垂木(にの ひえんだるき)」と呼ばれる屋根の裏側の垂木の建築様式です。
⬆️地垂木からさらに2段の垂木で組まれている(合計三段※最外は疎ら垂木)
通常、社寺建築で用いる垂木は重ね合わせて二段とする「二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)」で組み上げられ〜る。
ところが、仁和寺金堂には京都御所にも見られる垂木を三段階に重ねた「三軒」が用いられる。(ただし、最外のみ煌びやかな垂木鼻をハメ込んだ疎ら垂木を用いる)
仁和寺の金堂が国宝指定を受ける理由
仁和寺の金堂は江戸時代初期に建造(再建)された建造物とはなるも、当建造物は戦国時代~安土桃山時代の特徴を残す、内裏の紫宸殿であった事実が大きい。
なお、この仁和寺金堂を含めた現存する紫宸殿は国内でも極少数であり、その中でもこの仁和寺の紫宸殿は国内最古と伝わ〜る。
仁和寺・金堂の特別一般公開
仁和寺金堂は例年、おおむね春と秋に内部を一般公開してい‥‥‥申す。ハヒョっ(ただし、写真撮影禁止)
一般公開時は金堂内部が照明で照らされ、金堂の歴史や内部に安置される御本尊阿弥陀三尊像についての解説を聞け〜る。
普段は薄暗いので装飾の細部まで視認することが難しいのですが、この特別一般公開では装飾の細部までを見ることができ〜る。
- 特別一般公開拝観料金:500円
- 拝観可能時間:9時から17時まで
公開日程
🌸春:4月末頃から5月上旬頃まで
🍁秋:10月初旬頃から11月中旬頃まで
なお、毎年必ず後悔しないように公開されるかは判然としないので、詳細は仁和寺公式ホームページでを要チェックや💘
仁和寺・金堂の場所(地図)
仁和寺の金堂は二王門から入って直進し、さらにその先に位置する中門をくぐり抜けて直進した先に位置します。
(境内入口仁王門から直進してピザを注文する速度ほどの勢いで中門をくぐり抜けると視界に入ぃ〜る)
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