金色の理由とは?金閣寺(舎利殿)の「金箔の量(枚数)・値段(総費用)・重さ・厚さ」や「張り替え方法」について

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金色の理由とは?金閣寺(舎利殿)の「金箔の量(枚数)・値段(総費用)・重さ・厚さ」や「張り替え方法」について

【補足】金閣(舎利殿)に金箔を張り巡らせた理由

金閣寺の拝観受付を通り、やがて眼前に見えてくる鏡湖池が視界に入ると、その向こうには金閣寺が誇る最大の至宝・黄金に光り輝く「金閣・舎利殿」が建っています。

舎利殿を見た方であればこんな疑問は抱かなかったでしょうか?

『金閣舎利殿はなぜ金色をしているのか?』

『金色を表現するためにいったいどれくらいの量の金(金箔)が使われているのか?』

以下ではこの疑問にお答えしていきます!

創建当初の金閣寺・舎利殿で使用された金(金箔)の量(枚数・重さ)

金閣(舎利殿)で使用された金の量(枚数・重さ)

実は、金閣寺が創建された頃の舎利殿に用いられた金(金箔)の正確な量は不明とされています。

しかし、昭和30年に「昭和大修復」が行われた際、創建時に使用された金の量が推測できたようです。

この昭和の修理で使用された金の重さは20キログラムで、畳一畳分の金箔の重さが約3.8gと言われています。

金箔1枚の大きさは「10.8㎝四方のもの」で、これを約20万枚も使用しています。

つまり、室町期創建時では少なくとも20万枚以上の金箔が使用されたと推測することができます。

そしてこの20kgもの金箔を当時の金額で推定するのであれば、金の1g価格が概ね5000円程度と考えて、20㎏ですので約10億円位になります。

また、金箔を貼り付けるために使用された漆(浄法寺漆)の量はなんと!約1.2tと言われ、これは浄法寺漆の年間生産量の約半分にあたる量になるとのことです。(浄法寺漆が用いられた理由は後述)

 金閣寺・舎利殿の金箔の量は「1万分の1」?!

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現在の金閣寺の舎利殿は、1986年(昭和61年)2月から修復工事(修繕)が始まり、1987(昭和62年)9月10日までの、おおよそ1年8か月にものぼる修復工事が完了しています。

この修繕工事では、なんと!総工費約7億4千万円もかかったといいます。

そして、その際使用した金箔(金の量)は、室町期創建時の金箔より分厚い金箔が使用されています。

金箔の厚さは通常、0.1マイクロメートル(1万分の1)ですが、現在の金閣寺は0.45~0.55マイクロメートルと通常の金箔の約5倍の厚さ(五倍箔)の金箔を用い、重さにして約20㎏使用したそうです。

これは、張り替え前の10倍の量で、その5倍の金箔を二重に貼ったそうです。


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金閣寺の「昭和の大修理」では、通常の5倍もの金を使用?!

昭和30年に執り行われた「昭和の大修理」における金閣寺・舎利殿の金箔の押し方(貼り方)は、下地が木材で、その木の上に漆を塗って下地とし、その上に金箔を貼っていました。

しかし、その金箔は10 年でボロボロになって剥がれ落ちてしまうことになります。

この理由は、腕利きの職人も頭を抱えるほどの難題でしたが、ある1人の金箔押しの職人が決死の思いで金箔の実験を重ね、意外な事実が明らかにされました。

昭和30年の金閣・舎利殿再建で金箔が剥がれ落ちた理由

昭和30年の「昭和の大修理」において、金閣・舎利殿で金箔が剥がれ落ちた理由は、なんだか想像できますか?

少し考えてみてください。

正解は、なんと!太陽光の紫外線によるものでした。

具体的には、漆の保護膜としての役割を併せ持つ金箔の厚みが薄すぎたため、金箔にピンホールという小さな穴が開き、そのピンホールを通して紫外線が内部の漆に差し込んでいたためです。

漆の性質として、紫外線に弱いという性質があります。これはつまり、内部の漆の成分が紫外線によって分解されて白くなり、白化現象が起こっていたからです。

金閣寺舎利殿の金箔の産地は「金沢」!

現在の金箔の主要な産地は金沢であり、昭和30年の再建においても同様に金沢の金箔が使用されており、10000分の1の厚さの金箔になります。

これは金箔の製法として10000分の1の厚さが常識とされていたからです。

しかしこの後、当時の金閣寺・舎利殿と同じ状況を作った実験が行われ、意外な事実が判明します。

室町時代(創建当初)の舎利殿の金箔の量は現在の約5倍だった?!

この実験で判明した事実とは、なんと!義満が存命だった頃の室町時代ではもっと分厚い金箔が使用されたのではないか?ということです。

そこでさらに実験は継続され、その結果なんと!室町時代では現在の約5倍もの量の金箔が使用されていたことが明らかにされました。つまり、約5ミリの厚さです。

そこで金箔を5倍増しで分厚くする計画が立てられますが、ここでまた1つ問題に差し掛かります。

その問題とは重量です。金箔を増やせばその分、金箔の重量が増えます。

重量が増すと何が問題となってくるかと言うと、金箔を固定するための接着剤となる「漆(うるし)」が、より強い接着力(粘着力)を持つ強力な漆が必要になるということです。

ここでさらに今度は漆探しが開始されることになり、海外から漆を輸入したりするなど行われましたが、やはり5倍の厚さもの金箔を留め置くことができる漆はなく、一時は再建不可能という諦めの声も出ました。

しかし、ある1人の職人が江戸時代の頃から続く漆職人が日本国内で現在も変わらず良質の漆を作っていると聞きつけ、さっそくその職人のもとへ向かうことになります。場所は日本の岩手県です。

金閣寺舎利殿に使用される漆の産地は岩手県!漆の種類は「浄法寺漆」か?

上述した、その岩手県の職人から「浄法寺漆(じょうぼうじうるし)」と呼ばれる漆を譲ってもらうことに成功します。

この浄法寺漆の接着力は凄まじいものがあり、5倍増しの厚さを持つ金箔でももの怖じせず、ピタっとくっつき2度と剥がれることがない様でした。

さらに木曽平沢の腕利きの漆塗りの職人が京都へ招聘されています。

こうして作業は継続され、金閣・舎利殿の再建は成功し、見事に室町期創建時の輝きと威容を取り戻しています。

えぇっ?!創建当初は3層目のみに金箔が貼られていた??

実は、金閣・舎利殿が創建された当初、3層目だけに金箔が施されていたと云われています。

そもそもこの金閣・舎利殿は足利義満が実際に生活をしていた場所ではなく、義満公が生活の場としていたのは「北の御所」と呼ばれる境内に別に造営されていた殿舎になります。

この舎利殿は名前の通り、仏舎利(お釈迦様の骨)を収めるための「仏殿」として造営され、3層目にその仏舎利が収められています。(現在も仏舎利は3層目に安置されています)

この仏舎利に関与して3層目のみに金箔が施さたのかどうかは定かではありませんが、3層目だけに金箔が貼られていたという事実に対して少し残念な思いが入り混じった複雑な心境になります。

ただ、そうなると上述した100億という金額についても誇張表現が感じられてきます。

何にせよ、過去の金閣に関しての資料は応仁の乱などで焼失しており、過去のことが未だ謎とされています。

3層目のみに金箔が貼られていたという事実も今となっては無きにしも非ずです。

えぇっ?!実は金箔が貼られていなかった?!

実のところ義満公が金箔を貼りめぐらせた理由は不明とされています。そもそも室町時代に創建されたこの金閣舎利殿も一説によれば創建当初は金箔が貼られていなかったと言う説もあるほどです。

このような様々な学説が飛び交う理由は、応仁の乱により金閣寺に関してまとめた古書物が焼失してしまったからです。

ただ、現在までの通説では創建当初より舎利殿には金箔が貼られていたとされ、以下のような理由で金箔が貼られたと考えられています。

金閣寺・舎利殿はなぜ金箔を貼ったかのか?なぜ金色なのか?

金閣(舎利殿)に金箔を張り巡らせた理由

【理由その1】貴族社会に成り代わり武家社会の台頭を誇示するため

金閣寺を建てた「足利義満」は中国皇帝より「日本国王」の称号を受けており、財力も朝廷とは比較出来ないほど保有していました。

金閣(舎利殿)は義満公の「ある思想」をもとにして建立されたと言われます。(「ある思想」については後述)

ちょっと上の写真をご覧になってみてください。

3層目(3階部分)と2層目(2階部分)にはこれ見よがしに金箔押しを用いて金色一色に染め上げているのに対し、初層(1階部分)は2層目と3層目と比較すると素木をそのまま用いたような黒色をしています。なんだか粗末さを誇示しているかのようにも見えます。

実は足利義満公は、この金閣舎利殿を用いることで、公家や貴族社会の終焉と新たな武家社会の到来を意味し、その武家社会の統治者たる王である自らを強く誇示していたと考えられています。

現在までの通説では、これが金閣寺・舎利殿が金色で建てられた理由とされています。

【理由その2】自らの一族が天下を統治することで安寧に導くため

そもそも金は古代エジプトで発掘されたのが起源とされていますが、その姿自体が金色に輝き、姿形を損ねないことから古来、人が神のように崇め、尊崇の念のようなものを抱き、いつしか金の価値は財力や権力に結びついていくことになります。

このような金を人は欲するようになり、奪い合い、ときには殺し合い、その結果、一握りの人間だけが金を手にできます。

すなわち、金鉱(鉱山)の所有であったり、金の採掘の権利を持つことが自らの力を示すものであり、これすなわち権力や富の象徴とも言い換えることができます。

義満公が金を舎利殿に用いた理由は、自らの権力を最大限に誇示し、名実と共に将軍として君臨している事実を日本中の大名や公家衆に知らしめ、天下を安寧に導きたかったとも考えられます。

【理由その3】金は雨でも変色変形しないので「永遠」「不老不死」の象徴として捉えられたため

後述していますが、金は酸化力が極めて強い濃塩酸と濃硝酸でできた「王水(おうすい)」という液体の例外を除いては雨などの酸などにも耐えられる物質です。

すなわち年月を経ても姿形を損ねない物体ということです。

分かりやすい例を挙げれば、よく正月時期が近づくと金箔入りの日本酒がスーパーなどで店頭に陳列されていることがあります。

この金箔入りの日本酒を金箔ごと飲んだ後、人の体内の胃酸で消化作用がもよおされますが、それでもクソを垂れたとき、クソに混じって金箔がそのまま出てきます。(実証済み)

ちなみに、現今の金の産出は中国が世界一の量を誇りますが、様々な学説によればパタゴニアが世界一、金の含有量が多い国とされています。

実は近年、このパタゴニアにおいて金の研究を行われており、なんとぉぅ!捕獲岩(ほかくがん)に人の髪の毛ほどのサイズの金が発見されたとのことです。

捕獲岩はマントル層から生じるものなのですが、だとすれば金はマントル層の温度である1000℃以上(推定3000度〜5000度)までの温度に耐えれることになります。

義満公が金(金箔)を用いたのは、このような悠久に姿形を留める金の性質に倣い、不老不死や健康長寿を願って、もしくは自らの一族の不滅を願ったとも考えられます。

【理由その3】この世の極楽浄土を表現するため

金閣寺(舎利殿)と類似した堂舎に奥州(東北)の岩手県平泉に「中尊寺金色堂」があります。

「中尊寺金色堂」を造営した奥州藤原氏の当主である清衡は、自らの一族の権力や財力を誇示する目的や、現世における極楽浄土を再現するために1124年(天治元年/平安時代後期)に金箔を貼りめぐらせた黄金色に輝く「中尊寺金色堂」を建立しています。

なにせこの当時(平安時代末期)は、日本各地で災害や戦乱が頻発した時期でもあり、当時の権力者であった貴族(公家衆)や民衆も死に対しての恐怖感を覚え、急速に末法思想や浄土信仰が広まりをみせます。

義満公は権力者の頂点に立った人物なので同様の思想を抱いていたとしても何ら不思議ではありません。そんな義満公が金閣寺を造営する際、自らが思い描く極楽浄土の世界を金色に光り輝く中尊寺金色堂をモデルとして造営したとしても何ら不思議ではないということです。ウフ

金閣寺(舎利殿)の各階層の裏側に見える義満の思惑

上記でも述べたように金閣・舎利殿の金箔が貼られている箇所は、すべてに貼られているワケではありません。

これは間近で見なくても容易に視認できますが、舎利殿で金箔が貼られているのは「2層目」と「3層目」だけです。

一方で1層目には全く貼られていません。

実はこれには次のような義満公の思惑や理由があったのです。

1層目(最層位)「公家様式・法水院」

1層目(1階)は「法水院(ほっすいん)」と呼ばれます。

全面、白木造りの層で、平安期に主に貴族(公家)の邸宅の造りとして流行した「寝殿造り」で造営されています。

いわゆる寝殿造りを用いて公家や貴族を表現しています。

今や武家が台頭する時代。財力も権力も無い、朝廷の公家衆や貴族の廃れぶりを色彩を施さない粗末な素木造りを用いることで、その廃れぶりを嫌みたらしく表現していています。

2層目(中層位)「武家様式・潮音洞」

2層目(2階)は「潮音洞(ちょうおんどう)」と呼称します。

別名で「武家様式」とも呼ばれます。

この潮音洞は以下のような思想を、朝廷や国内に見せしめる為に、金箔つくしの層を造ったと云われております。

我々、武家が荒廃した世に秩序をもたらし、天下安寧を導き出した。
この偉大な功績に対して、例えようのある物などない
ならば、必然的に我ら武士(武家)は、公家や貴族よりも尊い(偉い)存在であり、崇められるべき存在でなのである

すなわち武家社会の到来と武家が公家や貴族よりも上の立場であることを表現しています。

3層目(最層位)は「中国の禅宗様式・究竟頂」

3層目(最上階)は、「究竟頂(くっきょうちょう)」と呼称します。

つまり「中国の禅宗様式」になります。

義満は、かねてより中国の明を建国した明皇帝の「朱元璋(しゅげんしょう)」を崇拝していました。

朱元璋は戦乱続きであった中国を統一へ導き、後に、その功績から「洪武帝(こうぶてい)」とも称されたほどの人物です。

義満も朱元璋の功績には一目置いており、明にあやかり日本の元号も「洪」にすると公言したほどであったとされています。

すなわち3層目(最上層)は義満公、自らを表現したものです。

これらのことから、以下のような例えができます。

まず、この世でいちばん偉いのは中国皇帝であり、その思想を受け継いだ自らである

「武家の頂点に君臨する自らは誰よりも尊い存在なのである」

以上、1層目〜3層目までをまとめるとこうなります

1層目:「公家衆や貴族は食いつぶすばかりで何もしない

2層目:「2番目に偉いのが新たな世を創造する力を持った武士である

3層目:「この世でいちばん偉いのは中国皇帝だ。しかしその思想を受け継ぎ、武士の頂点に君臨する自らも同様に尊い存在である

【補足】日本における金の起源

ここまで読み進めてきてこんな疑問が湧いた方もいると思われますが、では『日本における金の起源はいったいいつなのでしょうか?』

日本に金がもたらされたのは不明とされていますが、西暦57年(弥生時代)に、倭奴国王が後漢に使者を送り、光武帝(中国)より「漢委奴国王」の金印(志賀島出土金印)を拝受したとの記録が残されています。

日本は別名で「黄金の国ジパング」とも呼ばれますが、奈良時代まで日本では金は採掘されていません。日本で金がはじめて採掘されたのが奥州藤原氏が栄えた東北地方の平泉です。

詳しくは749年に百済王敬福が奥州にて砂金を発見し、これに端を発して採掘が開始されたと言われます。これが日本における金の採掘の起源とされています。

以来、奈良時代以降になると今度は逆に日本から朝鮮半島の渤海や新羅などへ輸出されるようになります。日本が「黄金の国ジパングと呼ばれるようになったのは、一説によれば遣唐使が滞在費用として大量の砂金を持ち込んだことが起源とされています。


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ところで・・金閣寺は雨(酸性雨)で金箔が溶けないの??

質問!金閣寺は雨(酸性雨)で金箔が溶けないの??

これは実際に、金閣寺へ訪れるたびに思うことですが、間近でいつ見てもキズ1つなく、美しい景観を何年も保っています。

路上でたまに見かける銅像などは、雨が降れば劣化してしまい、形が変形している像なども見受けられます。

そこで、こんな素朴な疑問が湧いてきます。

金って酸性雨などで溶け出したりしないの??

実は、金の性質として、「王水(おうすい)」の例外を除いては、強酸などにもまったく反応しないそうです。

他に例をあげますと、金箔が入った日本酒などがあります。

しかし、この金箔入りの日本酒を金箔ごと飲んでも、人体内の胃酸などの消化液では全く反応しない(=溶けない)との事です。

ですので、酸性雨くらいではビクともしないようです。

金閣寺・舎利殿や屋根上の鳳凰について

舎利殿の屋根の頂には金色の鳥の像が立っていますが、この鳥にも深い意味合いがあります。

鳥の像の詳細については下記ページをご参照ください。

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