金箔の理由が知りたい!!京都・金閣寺の「金の値段・重さ(金閣寺の総費用額)・枚数・厚さ・張り 替え方法」と「雨で金箔が溶けないの? 」

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金箔の理由が知りたい!!京都・金閣寺の「金の値段・重さ(金閣寺の総費用額)・枚数・厚さ・張り替え方法」と「雨で金箔が溶けないの? 」

【補足】金閣(舎利殿)に金箔を張り巡らせた理由

質問!金閣寺は雨(酸性雨)で金箔が溶けないの??

質問!金閣寺は雨(酸性雨)で金箔が溶けないの??これは実際に、金閣寺へ訪れるたびに思うことですが、間近でいつ見てもキズ1つなく、美しい景観を何年も保っています。

路上でたまに見かける銅像などは、雨が降れば劣化してしまい、形が変形している像なども見受けられます。

そこで、こんな素朴な疑問が湧いてきます。

金って酸性雨などで溶け出したりしないの??

実は、金の性質として、「王水(おうすい)」の例外を除いては、強酸などにもまったく反応しないそうです。

他に例をあげますと、金箔が入った日本酒などがあります。

しかし、この金箔入りの日本酒を金箔ごと飲んでも、人体内の胃酸などの消化液では全く反応しない(=溶けない)との事です。

ですので、酸性雨くらいではビクともしないようです。

金閣(舎利殿)の金箔の量は「1万分の1」?!

2016y02m16d_130250590現在の金閣寺の舎利殿は、1986年(昭和61年)2月から修復工事(修繕)が始まり、1987(昭和62年)9月10日までの、おおよそ1年8か月にものぼる修復工事が完了しています。

この修繕工事では、なんと!総工費約7億4千万円もかかったといいます。

そして、その際使用した金箔(金の量)は、室町期創建時の金箔より分厚い金箔が使用されています。

金箔の厚さは通常、0.1ミクロン(1万分の1)ですが現在の金閣寺は0.45~0.55ミクロンと通常の金箔の約5倍の厚さの物を用い、重さにして約20㎏使用したそうです。

これは、張り替え前の10倍の量で、その5倍の金箔を二重に貼ったそうです。

金閣寺の「昭和の大修理」では、通常の5倍もの金を使用?!

昭和30年に執り行われた金閣・舎利殿の金箔の押し方(貼り方)は、下地が木材で、その木の上に漆を塗って下地とし、その上に金箔を貼っていました。

しかし、その金箔は 10 年でボロボロになって剥がれ落ちてしまうことになります。

この理由は、腕利きの職人も頭を抱えるほどの難題でしたが、ある1人の金箔押しの職人が決死の思いで金箔の実験を重ね、意外な事実が明らかにされました。

昭和30年の金閣・舎利殿再建で金箔が剥がれ落ちた理由

昭和30年の金閣・舎利殿で金箔が剥がれ落ちた理由は、なんだか想像できますか?

少し考えてみてください。

正解は、なんと!太陽光の紫外線によるものでした。

具体的には、漆の保護膜としての役割を併せ持つ金箔の厚みが薄すぎたため、金箔にピンホールという小さな穴が開き、そのピンホールを通して紫外線が内部の漆に差し込んでいたためです。

漆の性質として、紫外線に弱いという性質があります。つまり、内部の漆の成分が紫外線によって分解され白くなり、白化現象が起こっていたからでした。

現在の金箔の主要な産地は金沢であり、昭和30年の再建でも同様に金沢の金箔が使用されましたが、金箔の製法として10000分の1の厚さが常識とされてきました。

この後、当時の金閣・舎利殿と同じ状況を作り実験が行われ、意外な事実が判明します。

この実験で判明した事実とは、なんと!義満が存命だった頃の室町時代ではもっと分厚い金箔が使用されたのではないか?ということです。

そこでさらに実験は継続され、その結果なんと!室町時代では現在の約5倍もの量の金箔が使用されていたことが明らかにされました。つまり、約5ミリの厚さです。

そこで金箔を5倍増しで分厚くする計画が立てられますが、ここでまた1つ問題に差し掛かります。

その問題とは重量です。金箔を増やせばその分、金箔の重量が増えます。

重量が増すと何が問題となってくるかと言うと、金箔を固定するための接着剤となる「漆(うるし)」が、より強い接着力(粘着力)を持つ強力な漆が必要になるということです。

ここでさらに今度は漆探しが開始されることになり、海外から漆を輸入したりするなど行われましたが、やはり5倍の厚さもの金箔を留め置くことができる漆はなく、一時は再建不可能という諦めの声も出ました。

しかし、ある1人の職人が江戸時代の頃から続く漆職人が日本国内で現在も変わらず良質の漆を作っていると聞きつけ、さっそくその職人のもとへ向かうことになります。場所は日本の岩手県です。

そしてこの職人から「浄法寺漆(じょうぼうじうるし)」と呼ばれる漆を譲ってもらうことに成功します。

この浄法寺漆の接着力は凄まじいものがあり、5倍増しの厚さを持つ金箔でももの怖じせず、ピタっとくっつき2度と剥がれることがない様でした。

さらに木曽平沢の腕利きの漆塗りの職人が京都へ招聘されています。

こうして作業は継続され、金閣・舎利殿の再建は成功し、見事に室町期創建時の輝きと威容を取り戻しています。


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金閣(舎利殿)で使用された金の量(枚数・重さ)

金閣(舎利殿)で使用された金の量(枚数・重さ)実は、金閣寺が創建された頃の金の正確な量は不明とされています。

しかし、「昭和大修復」が行われた際、創建時に使用された金の量が推測できたようです。

上述したとおり、昭和の修理で使用された金の重さは20キログラムで、畳一畳分の金箔の重さが約3.8gと言われています。

金箔 1 枚の大きさは「10.8㎝四方のもの」で、これを約20万枚も使用しています。

つまり、室町期創建時では少なくとも20万枚以上の金箔が使用されたと推測することができます。

そしてこの20kgもの金箔を当時の金額で推定するのであれば、金の1g価格が概ね5000円程度と考えて、20㎏ですので、約10億円位になります。

また、金箔を貼り付けるために使用された浄法寺漆の量はなんと!約1.2tと言われ、これは浄法寺漆の年間生産量の約半分にあたる量になるそうです。

金閣(舎利殿)に金箔を張り巡らせた理由

金閣(舎利殿)に金箔を張り巡らせた理由金閣寺を建てた「足利義満」は、中国皇帝より「日本国王」の称号を受けており、財力
も朝廷とは比較出来ないほど保有していました。

金閣は、ある思想をもととして、その考え方(思想)を由来として建立されたといいます。
その思想とは以下の通りです。

金閣寺(舎利殿)の各階層の裏側に見える義満の思惑

金閣寺の「舎利殿」の金箔が貼られている箇所は、実は、すべてに貼られているワケではありません。

これは、間近で見なくても、容易に視認できますが、舎利殿で金箔が貼られているのは、「2層目」と、「3層目」だけです。

そして、2層目3層目とは逆に1層目は全く貼られていません。

実はこれには理由があるのです。

金閣(舎利殿)の各層における義満の思想

1層目(最層位)「公家様式・法水院

1層目(最層位)は「法水院(ほっすいん)」と呼ばれます。

全面、白木造りの層で、平安期に主に貴族(公家)の邸宅の造りとして流行した「寝殿造り」で造造営されています。

財力も権力も無い、朝廷の公家や貴族だという思想を反映させ、これを具現化した建物だと伝わっています。

2層目(中層位)「武家様式・潮音洞」

2層目(中層位)は「潮音洞(ちょうおんどう)」と呼称します。

別名で「武家様式」とも呼ばれます。

この潮音洞は以下のような思想を、朝廷や国内に見せしめる為に、金箔つくしの層を造ったと云われております。

我々、武家が荒廃した世に秩序をもたらし、天下安寧を導き出した。
この偉大な功績に対して、例えようのある物などない
ならば、必然的に我ら武士(武家)は、公家や貴族よりも尊い(偉い)存在であり、崇められるべき存在でなのである


3層目(最層位)は、「中国の禅宗様式・究竟頂」

3層目(最層位)は、「究竟頂(くっきょうちょう)」と呼称します。

つまり「中国の禅宗様式」になります。

義満は、かねてより中国の明と建国した明皇帝の「朱元璋(しゅげんしょう)」を崇拝していました。

朱元璋は戦乱続きであった中国を統一へ導き、後に、その功績から「洪武帝(こうぶてい)」とも称されました。

義満もこの功績には、一目置いており、明にあやかり日本の元号も「洪」にすると公言したほどであったとされています。

これらのことから、以下のような例えができます。

まず、この世でいちばん偉いのは中国皇帝であり、その思想を受け継いだ自らである
そして、2番目に偉いのが武士である
最後は、食いつぶすばかりで、何もできない公家や貴族である


などといった思想を反映させたものが、現在の舎利殿に反映されていると云われております。

えぇっ?!創建当初は3層目のみに金箔が貼られていた??

実は、金閣・舎利殿が創建された当初、3層目だけに金箔が施されていたと云われています。

そもそもこの金閣・舎利殿は足利義満が実際に生活をしていた場所ではなく、義満公が生活の場としていたのは「北の御所」と呼ばれる境内に別に造営されていた殿舎になります。

この舎利殿は名前の通り、仏舎利(お釈迦様の骨)を収めるための「仏殿」として造営され、3層目にその仏舎利が収められています。(現在も仏舎利は3層目に安置されています)

この仏舎利に関与して3層目のみに金箔が施さたのかどうかは定かではありませんが、3層目だけに金箔が貼られていたという事実に対して少し残念な思いが入り混じった複雑な心境になります。

ただ、そうなると上述した100億という金額についても誇張表現が感じられてきます。

何にせよ、過去の金閣に関しての資料は応仁の乱などで焼失しており、過去のことが未だ謎とされています。

3層目のみに金箔が貼られていたという事実も今となっては無きにしも非ずです。

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