京都 龍安寺の「見どころ・歴史(年表付き)」と「見学拝観所要時間(目安)」※境内マップ(地図)付

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京都 龍安寺の「見どころ・歴史(年表付き)」と「見学拝観所要時間(目安)」※境内マップ(地図)付

龍安寺は1450年(宝徳2年)に細川勝元(ほそかわかつもと)が徳大寺公有(とくだいじ きんあり)から徳大寺家の山荘の一部を譲り受け創建したの始まりです。

創建する際、開基に義天玄承(ぎてんげんしょう)、勧請開山に義天玄承の師である「日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)」を据えて創建されています。

創建当初の龍安寺は現在の嵐電・龍安寺駅の線路向こうまで寺領があったと云われ、広大な寺領を誇っていたことが明らかにされています。

以降、南に位置する妙心寺(みょうしんじ)の塔頭寺院として存立しますが、応仁の乱による寺領の荒廃や細川家の衰退と共に寺領を狭め、現在の寺領に収まっています。

龍安寺のご本尊

龍安寺は石庭ばかりが注目を浴び、仏像にはあまり視線が注がれませんが、寺院なので御本尊がおられます。

龍安寺のご本尊は「釈迦如来坐像」です。

龍安寺の境内地図(マップ)

龍安寺の拝観料金や拝観可能時間については以下の別ページにてご紹介しております。

京都 龍安寺 拝観料金(割引)と営業時間(拝観受付可能時間)・所要時間など

見学拝観所要時間(目安)

龍安寺の公式の拝観所要時間は約30分から40分になりますが、龍安寺の境内は広大な上、茶屋や食事処を含めると3時間から4時間ほど所要時間がかかる場合があります。

境内散策:約30分
方丈・庫裡内の拝観約40分
石庭:約20分
売店:約10分
御朱印授与:約5分から20分(混雑具合による)
西源院での食事(湯豆腐バカ食い)約40分
茶処(茶屋)約30分

龍安寺の見どころ・一覧

山門

創建年

不明

再建年

1680年(延宝8年)

門の建築様式

切妻造り
薬医門

山門の読み方

山門は「さんもん」と読みます。

長野県善光寺などは「山門」を「三門」とも書きます。

龍安寺の山門は龍安寺境内の出入口にあたる門です。

門をくぐるとすぐに「鏡容池」が見えます。

手前には少々スモールな寺務所があり、ここで庫裡内(石庭)への拝観券を購入します。

 

勅使門【重要文化財】

創建年

不明

再建年

1606年(慶長11年)

建築様式(造り)

前後唐破風屋根付き

屋根の造り

こけら葺き

勅使門の読み方

勅使門は「ちょくしもん」と読みます。

その名の通り、「勅使(天皇の使者)」や重要な法要のみに通行することが許された門です。

よって現在では「開かずの門」になっており、一般参拝者の入場は叶いません。

ただし、身体障害者の方は受付へ歩行が難しい旨を告げることで、この勅使門から石庭の方へ入堂ができるようです。

勅使門の歴史

創建当初はこのような勅使門ではなく、現在の勅使門よりも少しサイズの小さい門であり、方丈(石庭)へ入堂するための門として造営されたと伝わっています。

しかし1797年(寛政9年/江戸時代後期)に食堂からの失火によって炎上し、その後の1606年(慶長11年)に境内の「西源院(せいげんいん)」から「方丈」と「この勅使門」を移築して再建に至っています。

特徴的なのは門上部の欄間(らんま)の唐草模様の透かし彫りです。上部の鬼板の風変わりなイカツイ形状(デザイン)にも注目です。

方丈(本堂)

創建年

1450年(宝徳2年)※室町時代

再建年

1606年(慶長11年)※安土桃山時代
1797年(寛政9年)※江戸時代

建築様式(造り)

入母屋造

屋根の造り

こけら葺き

大きさ

横幅:18メートル
奥行き:21メートル

方丈の読み方

方丈は「ほうじょう」と読みます。

「方丈」の言葉の意味とは?

「方丈」という言葉の意味(語源)は、古代中国の蓬莱島という伝説の島に住んでいたとされる仙人の部屋が、四辺約3メートルであったことに由来しています。

「方」は四角形を示し、丈は「1丈(約3メートル)」の意味あります。

日本においては、主に禅寺において住職が居住した場所として位置づけられています。

龍安寺・方丈の歴史

現在、観ることのできる方丈は1797年(寛政9年)に、西側に造営されていた旧西源院の方丈を移築してきたもので、創建当初の方丈は現在の方丈よりも全体的に小さかったと云われています。

さらに方丈の中心からのみ石庭の15個の石を見渡すことができたと云われることから、現在の移築された方丈では、15個もの石を見渡すのは至難の業と言い換えることができます。

尚、この方丈は京都龍安寺の「本堂」となります。

龍安寺・方丈の最大の見どころ「襖絵」

龍安寺の方丈の最大の見どころとなるのが、墨で書かれた襖絵です。

この襖絵は1953年(昭和28年)から「皐月鶴翁(さつきかくおう)」なる絵師が約5年がかりで完成させた意匠であり、この他、北朝鮮の金剛山(クムガンサン)が描かれた襖絵もあります。

日本から遠く離れた遥か北朝鮮の金剛山が襖絵に描かれた理由としては、かつて日本が朝鮮を統治していた時代、北朝鮮の金剛山は日本有数の名山として知られ、文化人の間で流行したことに由来するものと考えられます。

他にも狩野派の絵師「狩野洞雲(かのうどうしゅん)」意匠の襖絵・「龍頭龍尾図」も、かつては方丈に据えられていましたが、1797年(寛政9年)の火災時に16枚あった襖絵のほとんどは黒焦げに焼けてしまい、奇跡的に救い出された龍の襖絵のみが現存し、現在は龍安寺の蔵で大切に保管されています。

尚、この「龍頭龍尾図」は年に数回、特別一般公開されることがあります。

前回は「春の京都禅寺一斉拝観」にて特別に一般公開されています。

 

京都 龍安寺「侘助椿」

樹齢:約400年

龍安寺「侘助椿」の読み方

「侘助椿」は「わびすけつばき」と読みます。

「侘助椿」の名前の由来

太閤秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、加藤清正が朝鮮から持ち帰った花(つばき)が起源と云われています。

つまりは日本に初めて伝来した「侘助椿」ということになります。

後に清正から「侘助」という名の茶人へ苗が渡り、それが千利休ら茶人たちによって広まったと考えられています。

その他の説としては、茶道の「わび・さび」をとって「わびすけ」と命名されたとも云われています。

ただし、岩波書店が出版する公式的な日本辞書「広辞苑」によると、「侘助」なる人物が桃山時代に朝鮮から日本へ持ち帰って広まったとの記述があります。

龍安寺「侘助椿」の歴史

龍安寺の侘助椿は樹齢400年以上と伝えられており、これは日本に自生する椿としては最古の樹齢を持つ椿であると云われています。

例年、3月初旬から4月上旬に花弁に花を付け見頃を迎えます。

太閤秀吉も褒め称えたとされるこの椿は、見頃時期を迎えると赤と白が入り混じった君の笑顔のように美しい花弁を付けます。

龍安寺「侘助椿」の場所

龍安寺の侘助椿は、庫裡の奥の縁側にあります。


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茶室・蔵六庵

庫裡の奥には、「蔵六庵(ぞうろくあん)」と呼称される茶室あります。

創建は室町時代と伝えられており、当初は茶室というよりは住居として造営されています。

蔵六庵の出入口付近には、龍安寺を代表する見どころの1つである本物の「つくばい」が置かれています。

蔵六庵の詳細に関しては以下の別ページにてご紹介しております。

京都 龍安寺「茶室・蔵六庵」

 

仏殿(一般非公開)

仏殿は方丈の奥にあり、一般非公開の禁足区域「西の庭」にあります。

現在は龍安寺の檀家さんの法要時にのみ使用されているようです。

仏殿・西の庭(通常時は非公開)

仏殿には西の庭があり、西の庭には龍安寺を開山した細川勝元を祀った「細川廟」があります。

細川廟の堂内には細川勝元の木造坐像が安置されています。

仏殿・照堂(通常時は非公開)

仏殿の背後には「照堂(しょうどう)」、別名で「開山堂」があります。

「照堂」とは禅宗の寺院の開山や始祖などの位牌を安置して祀るための堂舎です。

現在の照堂は1977年(昭和52年)に再建されたもので、再建前の旧照堂は東福寺の「龍吟庵」から移築されてきたものになります。

照堂の内部では左から日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)、義天玄承(ぎてんげんしょう)の位牌、特芳禅傑(とくほうぜんげつ)の像が安置され、中央に「釈迦如来坐像」が安置されています。

義天玄承は細川勝元と共に龍安寺を開創した僧侶でありながら、像ではなく位牌しかない理由は、当人が自らの像を造って崇めるのを嫌い、禁じたためだと伝わっています。

 

龍安寺垣

龍安寺にもお隣の金閣寺と同様に垣根があります。

龍安寺垣に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。

龍安寺垣

 

湯豆腐の専門店「西源院」(せいげんいん)

龍安寺の境内には「西源院(せいげんいん)」と呼称される子院があり、この子院ではなんと!「精進料理」&「湯豆腐」を味わうことができます。

西源院の有名な料理として「湯豆腐」があります。

  • 精進料理(七草湯豆腐付):3,300円
  • 七草湯豆腐:1,500円
  • ご飯のおかわり:200円

他にアルコール系のドリンクやジュースも取り揃えがありますので、お子さん連れでも訪れることができます。

精進料理自体の味付けは、ご飯のおかわりしてしまうほどの、割と濃いめの味付けになります。

席は座席になり、西源院の日本庭園を眺めながら湯豆腐&精進料理を腹へしこたまブチ込むことができます。

尚、紅葉のシーズンやGW、お昼時は満席で待ち時間が発生することもあります。

西源院のお問い合わせ先「住所・電話番号・営業時間・定休日」

住所: 京都府京都市右京区竜安寺御陵下町13(龍安寺境内)
電話番号:075-462-4742
FAX番号:075-462-4747
営業時間:10:00~17:00(L.O16:30)
定休日:年中無休

 

龍安寺の売店でお買い物~♪お買い物~♪「御朱印、御朱印帳、御朱印袋、お守りなど」

龍安寺の御朱印・御朱印帳、御朱印袋に関しては以下のページにてご紹介しております。

京都 龍安寺の御朱印の「種類・値段・受付可能時間・授与場所」と混雑状況

京都 龍安寺の御朱印帳の「サイズ・種類・値段・受付可能時間・授与場所」

京都 龍安寺の御朱印帳袋の「種類・値段・サイズ・受付可能時間・授与場所」

 

龍安寺のお守り

数は少ないですが龍安寺にもお守りが授与されています。
オススメは「貝根付きのお守り」と「つくばいのキーホルダー」です。

貝根付きのお守り

 

「貝根付きのお守り」は、緑、白、紫、赤の4色展開です。
鈴が付いた小さな可愛いお守りです。

  • 貝根付きのお守りの値段:1つ310円
つくばいキーホルダー

「つくばいキーホルダー」は、金・銀・銅の3色展開です。
小ぶりながらズッしと重たいです。
カバンに付けると目を引きそうです。

  • つくばいキーホルダーの値段:1つ480円

 

京都龍安寺の歴史(年表つき)

歴史
983年(天元6年) 円融天皇によって円融寺が創建される。実は円融寺が現在の龍安寺の起源とされています。以降、円融天皇が崩御され円融寺が衰退。
1147年(久安3年) 藤原実能(大徳寺実能)が円融寺を所領して賜り、この地に山荘を造営する。山荘が完成した後、「徳大寺」と名付け自らも「徳大寺」を称する。
1450年(宝徳2年) 細川勝元が山荘の一部を徳大寺家から譲り受け、以前から師と仰いでいた義天玄承を開山に据えて龍安寺を創建する。
1458年(長禄2年) 徳大寺公有が龍安寺へ領地を寄進する。龍安寺の寺領が増加。
1488年(長享2年) 細川勝元の息子「細川政元」が応仁の乱で荒廃した龍安寺を再建する。
以降、後世では龍安寺中興の祖と云われる。
1489年(延徳元年) 細川勝元が西源院を創建する。
1582年(天正10年) 龍安寺境内に塔頭「霊光院」が創建される。
1588年(天正16年) 豊臣秀吉が家臣団を引き連れて龍安寺へ来訪する。
方丈庭園へ訪れて句を詠む。
1606年(慶長11年) 西源院の方丈(現在の方丈)が造営される。
1797年(寛政9年) 食堂からの失火により、龍安寺炎上。方丈および周辺の堂舎を焼失。
1924年(大正13年) 石庭が国の史跡・名勝の指定を受ける。
1929年(昭和4年) 浴室からの失火によって龍安寺炎上。
1954年(昭和29年) 方丈庭園、国の特別名勝の指定を受ける。
1955年(昭和30年) 龍安寺全体としての庭園が「龍安寺庭園」として国の名勝の指定を受ける。
1967年(昭和42年) 方丈および勅使門が国の重要文化財の指定を受ける。
1975年(昭和50年) エリザベス女王が龍安寺へ来訪され石庭を拝観される。
1978年(昭和53年) 石庭の油土塀の屋根が「瓦葺き」から「こけら葺き」へ葺き替えされる。
1981年(昭和56年) 仏殿が造営される。
1994年(平成6年) 「古都京都の文化財」の1つとして石庭を含めた境内全体がユネスコ世界文化遺産の指定を受ける。
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