京都・仁和寺「観音堂」【重要文化財】
造営年
不明(推定:928年/延長6年/平安時代)※初代、観音堂
1644年(寛永21年/江戸時代)※現、観音堂
再建年
2012年(平成24年)※解体修理(過去最大規模)
※2019年(令和元年)5月15日に工事終了。無事、落慶法要が営まれる。
建築様式(造り)
入母屋造り
前面一間向拝付き
大きさ
高さ(屋根):14.5メートル
四辺:約15メートル
屋根の造り
本瓦葺
重要文化財指定年月日
1973年(昭和48年)6月2日
御本尊
千手観音菩薩
法要
伝法灌頂
京都・仁和寺「観音堂」の読み方
仁和寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、そのまま観音堂は「かんのんどう」と読みます。
京都・仁和寺「観音堂」の歴史・由来
観音堂の創建は古く、仁和寺の創建の40年後となる928年(延長6年)頃に造営されたと伝えられています。
以降、度重なる火災によって仁和寺の伽藍はことごとく焼失していますが、この観音堂も火災の度に焼失を繰り返しています。
創建当初の観音堂が現在の場所にあったのは不明ですが、いずれにしても存在したことだけは確認されているようです。
この事実を証明する材料としては後述する堂舎の造りが証拠となっています。
尚、現在、見ることのできる観音堂の姿は江戸初期に再建された姿になります。
観音堂が創建された理由(由来)
仁和寺の寺伝によると、大師・空海が宇多天皇の第3皇子・真寂法親王の夢枕に立ち、観音堂の造営を発願されたとのことです。
その他、この観音堂は仁和寺最大の法要である「伝法灌頂(でんぼうかんじょう)」が執り行われる場所でもあり、仁和寺の諸堂の中でも重要な位置づけの堂舎となります。
伝法灌頂とは、密教における指導者としての位(阿闍梨)を授ける重要な儀式のことです。
京都・仁和寺「観音堂」の建築様式(造り)・特徴
この観音堂は江戸初期の再建時から現在に至るまで、屋根の葺き替えを1度実施したのみであり、つまりは江戸再建期の堂舎がそのまま現存していることになります。
しかし400年間雨風に耐えてきた堂舎も老朽化がみられ、2012年(平成24年)より過去最大規模となる解体修理が執り行われています。
観音堂の堂舎の最大の特徴として挙げられるのが、正面に見られる折りたたみ式の金飾り付き板扉に正面両脇の桟唐戸(さんからと)です。
前面がすべて板扉が据えられ、扉を開けないと内部が見えない仕様は密教寺院によく見られる様式であり、また奈良時代から平安後期にかけて見られる堂舎の特徴を示すものでもあります。
一方、注目すべきは堂舎の高さです。
時代を経るごとに堂舎の高さが増していく事実を鑑みると、観音堂の堂舎は棟まで高さあることに気づきます。
したがって比較的、近世に造営された堂舎とみることができます。
また内部の須弥壇の彫り物は禅宗様であることから、江戸時代の再建の折、創建当初の威容観あふれる仁和寺の観音堂をイメージして造営された堂舎であるとも言えます。
観音堂の堂内の構成
観音堂の内部(堂内)は、壁で仕切られており、北側に内陣、南側に外陣が構成され、門跡寺院でありながら密教寺院さながらの様式を伝えています。
内陣
北側には天井の高さが約6メートルもの二重折り上げ式の格天井が張られ、中央には須弥壇が置かれています。
外陣
また南側は外陣となり、畳の間となっています。
京都・仁和寺「観音堂」の御本尊「千手観音菩薩」
仁和寺・観音堂の御本尊は「千手観音菩薩(せんじゅかんのん)」です。別名で「千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげん かんじざいぼさつ)」とも呼称します。
この千手千眼観自在菩薩を中心に安置し、その両脇には脇侍として、「不動明王」と「降三世明王」、「二十八部衆」が祀られています。
あまり知られていませんが、千手観音の手の平にはすべての衆生を漏れなく救うため、それぞれ眼があり、合計で1000個もの眼があることから千手”千眼”観自在菩薩の名前が付されています。
「二十八部衆」とは?
二十八部衆は、千手観音に仕える眷属(けんぞく)になります。
「降三世明王」とは?
降三世明王は、「ごうざんぜみょうおう」と読み、密教特有の仏様です。不動明王(大日如来)を守護する五大明王の一尊でもあります。
欲界・色界・無色界の三界にある三毒(貪/とん・瞋/じん・癡/ち)を降伏(ごうふく/力でねじ伏せる)する強い力を持った仏様です。
五大明王とは?
東:降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
西:大威徳明王(だいいとくみょうおう)
南:軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
北:金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
不動明王とは?
不動明王は大日如来がMAXに怒った時の姿であり、戦闘系に変化した姿です。
スーパーサイヤ人4ver.時間永続くらいの力を持っています。
強スケベったれ者を一例とした煩悩が強い者や強悪者に対しては容赦なく降魔の鉄槌をモロにド頭にくらわせます。
京都・仁和寺「観音堂」の場所
観音堂は中門くぐって左脇の桜苑(あむろなみ..間違い、御室桜!!)の奥に位置します。
西門から入って右へ徒歩1分ほど進んだ先にあります。
※注意※観音堂は通常は非公開になっています。また、2017年8月現在、観音堂は解体修理中につき外観を見ることすらできなくなっています。
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