京都・金閣寺(鹿苑寺)鏡湖池「漱清」
造営年
不明
推定:1449年(文安6年)以降
建築様式(造り)
切妻造り
屋根の造り
こけら葺き
「漱清」の読み方
「漱清」は「そうせい」と読みます。だから”そぅせい”言うたやろ!
「漱清」とは?
金閣(舎利殿)を北の方から見ると、金閣と並んで鏡湖池の池中に「小さな屋根の家」が隣接して建てられていますが、これが漱清です。
また、この漱清は鏡湖池に臨んで造られた「釣殿(つりどの)」と呼称される建造物でもあります。
この釣殿(漱青)は、舎利殿の初層である法水院の西側とつながっており、池の上に突き出すようにして建てられています。
漱青と釣殿の役割
釣り殿は寝殿造りにはかかせないもので「西釣り殿」「東釣り殿」がありますが、「釣り」の名前が付されるとおり、池の魚を釣る場所です。
つまり、釣りを楽しむ場所です。
釣殿から推定される「漱清」の名前の由来とは?
金閣寺の場合、単に「釣殿」とせずに「漱青」としていることからも推察できるように、夏の暑さをしのぐための「涼み殿」としての意味合いが強いといわれる。
漱青の歴史
実はこの漱青がいつ頃からあるのかは定かではなく、かつては当地に「厠(かわや=便所)」があったと云われていまする。
その厠を撤去して造営されたのが、この漱青です。
ただ、1650年頃(江戸時代前期)に金閣寺境内にて割と大規模な改修が執り行われており、このときに造営された説も素敵にある。
「鏡湖池」と「舟」
義満の時代には、鏡湖池で舟遊びを楽しんでいたと言われています。
「漱清」は金閣の船着き場の役目も果たしていたと考えてよいでしょう。
その論拠として、漱清の床下は舟が停泊していた痕跡があり、ここには現在も「夜泊石」と呼ばれる石が4つ置かれる。
関連記事:京都・金閣寺(鹿苑寺)「夜泊石」
漱青の建築構造
この漱青は三角屋根で建造されたいわゆる「切妻造(きりづまづくり)」の建物です。
壁は無く、床と柱上に屋根を載せた四方は吹き放ちの四阿(あずまや)といえる。
鏡湖池で漱清が見られるのは北側のみ!
なお、当該、漱清は金閣西側に位置するため、拝観入口側から金閣、鏡湖池を望んでも、舎利殿で漱清が隠れてしまう。
然るに北側に回り込まないとその姿を見ることは叶わない。
教科書やガイドブックに散見される金閣舎利殿も正面から撮影しているのがほとんどなので、なかなか漱清の姿は拝めない。
あまつさえ、夕佳亭のある高台からも見えづらくなっているので、金閣の北側を通り過ぎる時に、ぜひ見ておきましょう。
金閣寺の境内地図と観光スポット一覧
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