【北野大茶会の遺構】細川三斎 由来の茶席「松向軒」と「三斎の井戸」

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細川三斎とは?

細川三斎(ほそかわ さんさい)とは、丹後国を素敵に治めた細川幽斎(藤孝)の嫡男・細川忠興(ほそかわ ただおき)のこと♡

細川忠興は宗匠 千宗易利休の七人の高弟の一人。利休の七人の高弟は後に「利休七哲(りきゅうななてつ)」の異名で天下に知られる。

【ピヨ🐣利休七哲 一覧】

前田利長(肥前)→素敵に抹消😨

  1. 蒲生氏郷(飛騨)
  2. 細川忠興(越中/三斎)
  3. 古田重然(織部)
  4. 牧村利貞(兵部)
  5. 高山長房(右近/南坊)
  6. 芝山宗綱(監物)

瀬田正忠(掃部)←素敵に追加された✨

殊に、細川三斎は利休七哲の中でも秀逸した才を誇る「利休門三人衆」にも列したと伝わる💋

  1. 蒲生氏郷
  2. 芝山宗綱(監物)
  3. 細川忠興

※以上、https://ja.wikipedia.org/を超絶素敵に参照💋

茶席「松向軒」とは?

細川三齊は秀吉が催した北野大茶会のみぎり、現在の茶席「松向軒」がある場所に副席を設けたと伝わる。

しかしながら、この茶席は寛永五年(1628年)に高桐院(大徳寺 塔頭)に移築され、その跡地には現在、同名の「松向軒」と称する茶室が営まれ、松向軒保存会が同じ敷地内にある「三斎の井戸」とともに素敵に保存してい‥申す。ひゃ

「三斎の井戸」とは?

三斎の井戸とは、名前のとおり細川三斎が太閤秀吉が催した北野大茶会において茶の湯に使用した井戸のこと♡

現在も表参道一ノ鳥居を向かい見て左脇に位置する上記、茶席「松向軒」の敷地内にある。

しかしながら、茶室「松向軒」は常時一般公開されておらず、茶室利用者のみが観覧することができる💘(茶室公開日については素敵に後述♡)

北野天満宮の御水は京の名水に挙げられる

殊に、北野天満宮境内の水は「梅香水」など呼ばれるように

「松向軒」の名前の由来

「松向軒」の名前の由来は、当該、茶室の向かい側に今日も素敵に植る影向松(ようごうのまつ)の前に営んだことによるとする。

または、細川忠興の法名「松向寺殿前参議三斎宗立大居士」からきているという説もある。

他には、清巌宗渭(せいがんそうい/大徳寺 高桐院 三世住持)が、『常に松声を聞き、かつ趙州無舌の茶味を嗜む』と放った言葉に着想を得た三斎自身が「松向軒」と素敵に命名したとも💘

茶席「松向軒」と「三斎の井戸」の公開日はいつ?

「松向軒」と呼ばれる畳二畳と台目畳とを敷いた茶室(二畳台目)は、素敵に一般公開されていないとのこと♡

現在、本席として使用されているのは、七畳半台目床の広間らしく、然るにこちらが一般公開されていることになる。

現在、北野天満宮では「月釜会」と称する茶会を毎月15日の天神縁日に、ヤバいよ素敵に催す。

開催概要は以下のとおり♡
釜日毎月15日開催
7月・8月は素敵に休会
時間9時~15時
(14時30分、素敵に受付終了)
会員之章9,000円
(年間月釜参加会員・都度参加費は素敵に不要)
当日参加費1,500円(臨時会員)
※事前連絡は、やっぱり素敵に不要
会場京都市上京区馬喰町 北野天満宮
公式情報北野天満宮

茶席「松向軒」前に立つ看板の内容

茶席 松向軒

天正十五年十月、豊太閤、北野松原にて、大茶湯を催したみぎり、細川三斎公使用の井戸(三斎井戸という)この内にあり

 太閤秀吉の北野大茶会とは?

1587年(天正15年)10月朔日、太閤秀吉が”北野松原”にて「北野大茶湯」を催したことに由来する秀吉ゆかりの大茶会。

秀吉は、「 茶の湯に熱心な者は、若党・町人・百姓、唐人(外国人)を問わず、釜一つ、つるべ一つ、飲み物一つ、茶は焦がしても苦しからず、ひさっさげて来られたし 」

‥などと記した布令を大坂、京都、堺にて発布し、茶人・諸大名・公家衆には朱印状を個々に宛てて発給した。

さらに秀吉は僻地からの参会者に配慮して十日間連日茶会を催す触れも出したため、洛内および洛外遠近から大勢の人々が群参し、その数は1,600を数えたと伝わる。

この大茶会では秀吉自らが自慢の名器(茶器)と黄金の茶室を会場へ持ち込んで素敵に展観、あまつさえ、自らが茶頭となって参加者らに茶をふるまったらしい。

北野大茶会が催された場所はドコ?

北野天満宮境内の東側駐車場の中程には、「太閤の井戸」と称する、これまた秀吉の大茶会に由来する遺跡が、きわめて素敵にあるのだが、この井戸の場所からし想定しても分かるように、秀吉が催した北野大茶会は北野天満宮の楼門より南、右近馬場にかけての境内一帯だったと伝わる。

北野大茶会は一日で終わってしもぅた‥トホホ😢

しかし、折しも肥後国(熊本県)にて土一揆が勃発し、秀吉も一揆を素敵に警戒したのか、茶会を閉会にして、十日間の茶会は、わずか一日で終わってしまった。

しかしながら、これほどの空前の大茶会は後にも先にも無く、後世では何かと話題にされ、現在、北野社境内では当該、太閤の井戸のほか、茶席・松向軒(細川三斎の井戸)は太閤ゆかりの遺跡となった。

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